私は、とても怒りを持っている。

  

社会を、世界を、酷く壊れた、不完全なものとして捉えている。

   

国会で馬鹿な法案を通す為に報道が操作されたり、傍若無人の政治を、毎度おなじみ誰もどうにも出来ない状況にうんざりしている。
人の金を使って着々と自分達の見えない支配構造の総仕上げにかかっている奴らを憎んでいる。

こういう過激な文を書いただけで、逮捕される世界にされるわけだ。
気に入らない奴には、いちゃもんつけて、片付ける為の法案だろ。

   

そういう強い怒りが、私のやろうとしている事を、押し付けがましい色に染めている事に、
気が付いている。

    

  

豊な光あふれるこの世の恵に目を向け、そこを生きる自由を許されていながら、
不平不満、疑心暗鬼を選んでいるのだ。

  

頭では、わかる。
全部内側から来る、傷の投影であることが。

  

それがあるうちは、嬉々として愉快な事業を、人と協力して始めるなんて、出来やしない。

  
せいぜい、親しい間柄の人達どまりの事業だ。

それでは、目的は達成されない。

  
中途半端な事業なら、やらんでいい。余計な仕事だ。

   

私が命をかけたいものの為に、
自分の人生の時間をささげる事が出来る為の事業。

  

愛するものが繋いでくれた文化、遺伝子、記憶、生きてここにある。
守られて育てられた私が居る。
この奇跡のともし火で、微かに匂う、帰りたい未来を、照らすんだ。
皆に見えるように。

   

その為に邪魔なものは、
全部片づける。

   
それは、外ではなく、内側にある。

    

新しい扉を開く為の大掃除。

  

体に居て、怒りを見ていてやる。
表現する前に感じ切って昇華する。

出来る出来ないじゃなくやるだけ。