人の尊厳は羞恥心と結びついている。
明らかに、日本人の美徳は恥の文化に根差しているものだった。
デイサービスを初体験してショックを受けて帰った。
それは風呂に入る時に、本人曰く「素っ裸にされる」ことだった。
それを若い男子が行っていたので、拒否したが
しつこく迫られて、風邪気味だとか誤魔化して(必死なので頭が働く)
頑強に拒んだという。結局、足湯ということで済ましたという。
これを介護者から見れば、「病院なら当たり前ではないか」
ということなのだろうが、これは感覚が麻痺している。
丁度、レントゲンで放射能を浴びることと
原発事故で放射能を浴びることを混同させる詭弁に似ている。
病院の患者は、リスクと羞恥心を天秤にかけている。
痔の治療に行く人間が少ないのは、恥ずかしいさが
痛みより優っているからだ。
しかし、風呂に入らなくても死ぬ訳じゃない。
恥ずかしい思いをする位なら、誰も入るまい。
何故、そういうことが感情移入できないのか。
これはアウシュビッツの死体処理人のように
感覚が直ぐに麻痺してしまう為である。
それは、被介護者にも言えることで
今は素直に抵抗もなく応じている利用者も
最初の頃はショックを受けていたに違いない。
何という題名のTV映画だったか覚えていないが
ボケ爺役の丹波哲郎が失禁して涙を流す場面があった。
認知症であれ、相当重度でない限り、
この恥という感覚は人間の尊厳、価値の根本であり
介護者や医療従事者はそのことを反復教育されねばならない。
「人間の唯一の価値(尊厳)は自分を笑うことができることである」
という格言があったと記憶しているが(WEBで見つからない)
逆に、他人に笑われることは尊厳を失うこと、奪われることを意味する。
介護サービスを利用する場合、予め、風呂の介助者が同性か否か、
家族は必ず確認して置くべきである。
ボケ防止として身嗜み、化粧が推奨されてるように、
”恥を忘れさせること”がボケを加速させる原因にもなってるだろう。
明らかに、日本人の美徳は恥の文化に根差しているものだった。
デイサービスを初体験してショックを受けて帰った。
それは風呂に入る時に、本人曰く「素っ裸にされる」ことだった。
それを若い男子が行っていたので、拒否したが
しつこく迫られて、風邪気味だとか誤魔化して(必死なので頭が働く)
頑強に拒んだという。結局、足湯ということで済ましたという。
これを介護者から見れば、「病院なら当たり前ではないか」
ということなのだろうが、これは感覚が麻痺している。
丁度、レントゲンで放射能を浴びることと
原発事故で放射能を浴びることを混同させる詭弁に似ている。
病院の患者は、リスクと羞恥心を天秤にかけている。
痔の治療に行く人間が少ないのは、恥ずかしいさが
痛みより優っているからだ。
しかし、風呂に入らなくても死ぬ訳じゃない。
恥ずかしい思いをする位なら、誰も入るまい。
何故、そういうことが感情移入できないのか。
これはアウシュビッツの死体処理人のように
感覚が直ぐに麻痺してしまう為である。
それは、被介護者にも言えることで
今は素直に抵抗もなく応じている利用者も
最初の頃はショックを受けていたに違いない。
何という題名のTV映画だったか覚えていないが
ボケ爺役の丹波哲郎が失禁して涙を流す場面があった。
認知症であれ、相当重度でない限り、
この恥という感覚は人間の尊厳、価値の根本であり
介護者や医療従事者はそのことを反復教育されねばならない。
「人間の唯一の価値(尊厳)は自分を笑うことができることである」
という格言があったと記憶しているが(WEBで見つからない)
逆に、他人に笑われることは尊厳を失うこと、奪われることを意味する。
介護サービスを利用する場合、予め、風呂の介助者が同性か否か、
家族は必ず確認して置くべきである。
ボケ防止として身嗜み、化粧が推奨されてるように、
”恥を忘れさせること”がボケを加速させる原因にもなってるだろう。