はじまりましたね。


僕は反対派なのですが、失敗に終わってくれればいいと思ってます。


ただ、単に失敗に終わるんじゃなく、何かしら市民に問いかけれる形の終わり方を望む



未だに市民感情に流されて、裁判官の判断に批判を寄せる市民

何も責任を負わないからこその批判だと思う

裁判員になって責任を負うかもしれない地位となった途端に

怖いだの、選ばれなくてよかっただの

なんちゅう無責任な


人の生死を決めるものには自らは参加したくないが、判断者の判断はおかしいだのと批判して、

全く自分勝手な市民感情だと思う。


そういう人には是非裁判員になってもらいたい。

そして、どれだけ裁判官の仕事が大変か、そしてどれだけの重い責任を背負って仕事をしてるのかを

体験すればそんな簡単に批判などできないはずだ。

その意味では大変な意義を持つだろう。



それにやっぱり法律問題。法律の専門家がしてなんぼ。

それなりの知識・経験もないまま量刑まで決めるのはいささか不安。

一般人の市民感情をも司法に取り入れようとする試みは分かるが、市民感情に流されすぎた判決になる

危険性も否めない。



まずは初等教育なり中等教育から何かしらの教育を施してからすべき。


学校教育段階にとどまらず、

実施が決まった段階で全ての会社等にこのような教育をするように義務付けるべきだったのでは。


そして、あとは裁判員になると決まった者に対しての処遇の問題についてもしっかりとした措置が

整備されていないようにも思える。

この不景気の中一人休業すれば、周りに与える影響は底知れぬ。

なのに強行実施した。



情勢を見極めながら、しっかりとした方針と措置の整備をしてから実施すべきだったのではないかと思う。



今や国自体が破綻状態であるのに・・・裁判員制度どころの問題ではない。

市民の生活を保全してこその国家であるはずが、負担をかけすぎなのではなかろうか。


やはり、今の国の現況を思うと

裁判員実施は早かったのではないだろうか。

話が転々としたが、

成功するにしても

失敗するにしても


司法の判断に対して容易に批判を浴びせられなくなるような経験をさせる制度となってもらいたい。


そして簡単に死刑などと口にすることのない世の中になってもらいたい。



裁判員に選ばれなかった人たちの

安堵の声などをながしたニュースの一部をみた感想である。