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萩原大介のShortStory

シンガーソングライター ハギワラダイスケ オフィシャルブログ




帰国してからは早々とライブスケジュールを組み、ツアーをやることにした。


東京渋谷O-CREST、大阪、仙台、名古屋、新潟、そして東京下北沢GARAGEで初の主催イベントを決めた。


…このツアーで結局、最悪な状況になるとはこの時は知る由もなかった。


大阪はそもそも、関西が地元だったこともあり身内の関係者がたくさん来てくれたものの…お客さんはつかなかった。


仙台は、共演者との交流はあり、ライブハウスの店長からは「新しい音源出たらインストアライブできるレコード店紹介できるよ」等、提案はしてもらえるも、それ以上にはできなかった。


そして、名古屋。

名古屋も同様に共演者とは仲良くなったが、ライブは全く振るわず。

この日のライブが自分に対して強烈なダメージを与えた。


"俺は一体何をしてるんだろう?"

"何が楽しくてこんなことしてるんだろう?"


と。



そして同時に

"もう辞めよう。とりあえず主催イベント決めてしまったから、そこまではやろうか。"

という気持ちで東京へと戻った。


その前に新潟が残ってたので、なんとかやらないと…というテンションで向かう。


新潟はバンドの頃よく行ってた場所。

普通に考えるとある程度お客さんを呼ぶことができそうなものだが、バンドが好きな人ってギター1本でのシンプルなライブは好まないというパターンも多く、バンドの頃に来てくれてた方は実はほとんど来なくなっていた。


もうこの時点で精神的にはかなりやられていたこともあって、"どうせ誰も来ないし、もうそれでいいや"という気持ちだった。


いざ、本番迎えると

バンド時代にずっと応援してくれていたファンの方が来てくれていた。

終演後「音楽を続けてくれて本当にありがとうございます!」と声をかけてくれた。


その一言が何よりも励みになり、

"1人でもそう思ってくれるなら続けてもいいかも"

と。


気持ち新たに曲作りとリハーサルを重ねて、初の主催イベントを東京下北沢GARAGEで開催。

自分を入れて全5組。

内3つはバンドに出てもらった。


アンコールの最後の曲で弦が切れて、そのままアカペラで歌いきるという場面はあったものの自分的には持ち直した感があった。(弦切ったのはワザと?と後で聞かれた。そんなに器用なことはできません。)


残念ながらイベントとしてお客さんはあまり入らず、赤字であったが…清算後に店長が「これは俺からだ」と1万円を渡してくれて

「ハギ、うたは辞めない方がいいよ。歌ってのはやればやるだけ厚みが出る。若いやつにそれは出せない。まぁ…勢いはなくなるけどね。」という言葉をくれた。


新潟でのお客さんからの一言と

店長の一言が今でもハッキリと胸の中に残っている。


④「サポートメンバーを入れたバンド編成ライブ」へ続く



【LIVE SCHEDULE】

11/17(月)新潟.lagoon 20

「萩原大介ワンマンショウ2025〜新潟編〜」



12/14(日)京都someno kyoto


チケット予約はHPにて受け付けています。

【official website】

https://hagiwaradaisuke.amebaownd.com



【YouTubeチャンネル】

https://www.youtube.com/user/hagiwaradaisukeFILM

 


【萩原大介 web shop】

https://dhagiwara.thebase.in