終戦のころ | michiruの書斎

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年を取って、初めて分かることは多い(68歳)
 表現は、1に、事実にもとづき、2に、論理性があり、3に、人を幸福にするものでありたい(69才)。私の人生にはに浮き沈み、紆余曲折があった。だからと言って、どれが幸福で、どれが不幸だと言えなかった(70歳)。

3時~

 

 

 昭和20年の終戦時、母と祖母と弟と私の4人は山あいの茅葺住宅に暮らしていた。私5歳、弟1才であった。満州に出征していた父は、この前年に亡くなり、家業の農業を母と祖母が支えていた。コメ、麦、さつまいも、大根、キャベツ、白菜など作って、自給自足の生活だった。

 戦後で何もかもが不足し、都市部から食料の買い出しが訪れた。また時々乞食も来た。茶碗を持って、ご飯を恵んでくれというので、祖母は麦の混じったご飯を山盛り一杯恵んであげた。豊橋駅前の広場では、着るものがなく雨の降る中、素っ裸で歩いている女性もいた。

 皆貧しかったが、当時、農家は食べるものがあるだけ、恵まれていた。 しかし、採算が合わなくなり、今は農業をやめて、なんでもお金を出して買わなければならないので大変だ。入るお金は決まっているので、節約しなければやって行けない。