3時~
昭和20年の終戦時、母と祖母と弟と私の4人は山あいの茅葺住宅に暮らしていた。私5歳、弟1才であった。満州に出征していた父は、この前年に亡くなり、家業の農業を母と祖母が支えていた。コメ、麦、さつまいも、大根、キャベツ、白菜など作って、自給自足の生活だった。
戦後で何もかもが不足し、都市部から食料の買い出しが訪れた。また時々乞食も来た。茶碗を持って、ご飯を恵んでくれというので、祖母は麦の混じったご飯を山盛り一杯恵んであげた。豊橋駅前の広場では、着るものがなく雨の降る中、素っ裸で歩いている女性もいた。
皆貧しかったが、当時、農家は食べるものがあるだけ、恵まれていた。 しかし、採算が合わなくなり、今は農業をやめて、なんでもお金を出して買わなければならないので大変だ。入るお金は決まっているので、節約しなければやって行けない。