さて、今日はあんまり面白くない話しでもいってみましょうか~。


 萩は暇なときにどうでもいいことを考えるのが軽い趣味だったりします。

 で、最近のもっぱらのテーマが「ドン・キホーテになれるか」
 とかいいつつも、実はこのお話読んだことはありません(何


 が、風車を竜と勘違いして向かっていった騎士のお話とかなんとか・・・まあ、その程度ですけど。
 本人は大真面目にドラゴン退治をしていたんでしょうが、はたから見たら滑稽この上ない愚か者、異常者でしかない(言いすぎ?)言うなれば喜劇の主人公。

 しかしまあ、見方を変えれば彼は周りのどんな声にもめげずに己が信念を貫き通した英雄とも言えないでしょうか?

 周りの嘲笑には耳を貸さずに己が道を進み、そうして成功した人間は英雄と呼ばれ、失敗した人間は愚か者になる。
 そんな出来損ないの英雄がドン・キホーテじゃないのかと。
 てまあ、ちゃんとお話読んでないのであくまでも萩の中にあるドンキホーテ像の話ですけどね。

 閑話休題。

 じゃあ、自分はドンキホーテになれるのか。
 勝ち目の薄い勝負でも自分は挑めるか。
 英雄か愚者か。
 それとも、英雄をうらやみドンキホーテを笑う観衆になるのか。

 きっと、殆どの人は観衆になるんでしょう。
 じゃあ、私はどうなのか。

 こんな私ですが、一応夢があります。
 恥ずかしくて、誰にもまだ言っていないですが、それでも夢くらいあります。
 そして、今の私は「観衆」です。

 そりゃあ、恥ずかしいとか言ってドンキホーテになるのを恐れてるんですから、そういう分類になるわけです。

 じゃあ、これから私はドンキホーテになれるのか。
 本当にわかりません。

 誰でもそうであるように、ひとつの出来事に対して自分の中でいくつも選択肢が浮かびます。
 そして、その時々で人はもっとも強い意見を採用して進んでいくわけです。
 でも私の場合、その強弱が殆どなくて、あたかも違う自分から意見を出されたかのように迷うことがあります。
 もちろん、私は多重人格とかじゃないので、どれも自分の意見という自覚ははっきりとあります。
 まあ、だからこそ迷うわけですが・・・。

 っと、また話がずれました;

 まあ、要するにどうにもドンキホーテになりにくい性格をしてるわけなのです。
 
 あるひとつの道を選ぶにも、いろんな選択肢が見えて必要以上に雑音が耳に入る。
 その雑音の発生源が自分だから、始末が悪いわけです。

 っていうか、そもそもそういう人間になればいいって物でもないのだろうし。。。


 まあ、そんなこんなでぐるぐると考えてたり。


 ちなみに、このお話なにも上記の例に限らずともいろんなことに応用が利きます。

 たとえば、相方に話したこんなたとえ話。
 ちょっと考えてみるのも面白いかもしれません。

 ある日、あなたの恋人がとある重大事件の容疑者として逮捕されました。
 客観的に見ると、あらゆる状況が恋人が犯人であると示しています。
 しかし、当の恋人だけは自分の無実を一貫して主張しています。
 さて、あなたはドンキホーテになれますか?