「銭形平次捕物控 青い帯(三)(四)」野村胡堂 | ゆづき24時 2nd

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朗読「銭形平次」

「青い帯、You TubeちゃんねるにUPしましたー。

 

 

「銭形平次捕物控 青い帯」

 

その翌る朝。
「親分、腹が立つじゃありませんか」
ガラッ八の八五郎は、

この騒ぎを銭形平次のところへ報告して来たのです。

 

 

てんとうむし

 

 

「青い帯」の地理的なお話

 

 

 

神田明神

平次が住んでいるのは神田明神下御台所町。

 

代地

お秀の家のある場所。

 

向柳原

お勢の家の油屋のある場所。

 

柳橋

お秀の家へ向かうお勢が雨に降られた場所。

 

 

てんとうむし

 

 

前にも書きましたように

今回は、お秀の住む「代地」がどこなのかで結構悩んだ。

 

というのも、

「代地」って言葉自体は

地名の固有名詞じゃなくて

幕府が公用のために徴収した土地の代わりに

そこの住人たち?に与えた土地のことを言うようなんですね。

 

だから古地図なんかを見ても

「○○代地」って地名が結構ある。

 

猿屋町代地、南八丁堀三丁目代地、本郷六丁目代地、

旅籠町二丁目代地、御蔵前片町代地、…とか。

 

で、お秀の家がどこの「代地」かってことなんですけど、

 

●お勢が向柳原の家から向かって途中に柳橋があるとこ、

●二階から大川へ突き出すように花火見物の桟敷がある、

ということは、大川(隅田川)沿いなのだろうということ。

 

というところから考えて、

おそらくお秀が住んでる「代地」は

「御蔵前片町代地」ではないかということに。

 

というわけで、私の地図上では「代地」は↑の場所になっております。

 

「代地河岸」という言葉で検索すると

今でも? 柳橋の隅田川沿い辺りのことをそう言うようで。

 

単に「片町代地」と書いてある古地図もありますが、

「御蔵前片町代地」「御蔵前」というのは

近くに「浅草御蔵」があるからでしょうかね。

古地図をもとにした絵の、

代地の上(北)にあるギザギザしたところが「浅草御蔵」

 

 

ところで

「柳橋」っていうと

「柳橋」って名前の橋もあって

地図で場所を示そうと思うと

つい橋のとこに「柳橋」と書いてしまうのですが、

その橋の上(北)あたりの花街のことも柳橋と言いますね。

 

お勢が向柳原の家から片町代地へ向かう途中

柳橋の手前で大夕立にあう、

この場合の柳橋は、地名(地域名?)の方の柳橋な気はします。

 

いやしかし、

代地のお秀の家、

このロケーションで二階の桟敷から

両国橋付近で行ってる花火を見るって

かなり絶景だったでしょうね。

うらやましいかぎりです。

 

今年(2023年)は

何年かぶりに行われた花火大会も多かったようで。

 

では、何年か前に撮った柳橋辺りのお写真を。↓

 

 

 

柳橋ではないけれど

隅田川の夜っぽいお写真も↓。

 

 

 

 

てんとうむし
 

 

では、今回参考にした古地図。

尾張屋版 江戸切絵図 東都浅草絵図

 

 

 

てんとうむし

 

 

 

次回につづく!猫あたま

 

 

 

てんとうむし

 

 

(三)
船宿 ふなやど
江戸時代、川沿いの街などで
遊芸や釣りなどのために舟を貸していた宿。
宿といっても宿泊施設というよりは舟の貸出が主。
吉原へ行く客の送迎などもしていた。
 
 
【水茶屋】 みずぢゃや
江戸時代、寺の境内や道で
往来の人に茶を出して休息させた茶屋。
(茶葉を売る店と区別して「水茶屋」という)
やがて酒食を供するようになって
煮売茶屋、料理茶屋となり、
店の奥に座敷を設けて
男女の密会や売春の場となったりもした。
 
 
(四)

【戌刻】 いつつ 

夜八時頃。

江戸時代の時間
 
【四半刻】 しはんとき
約30分。
 
上州 じょうしゅう
上野国(こうずけのくに)。現在の群馬県あたり。
 
 
 
 
 
 
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