朗読「銭形平次」
「青い帯」、You TubeちゃんねるにUPしましたー。
「親分、腹が立つじゃありませんか」
ガラッ八の八五郎は、
この騒ぎを銭形平次のところへ報告して来たのです。
「青い帯」の地理的なお話。
神田明神
平次が住んでいるのは神田明神下御台所町。
代地
お秀の家のある場所。
向柳原
お勢の家の油屋のある場所。
柳橋
お秀の家へ向かうお勢が雨に降られた場所。
前にも書きましたように
今回は、お秀の住む「代地」がどこなのかで結構悩んだ。
というのも、
「代地」って言葉自体は
地名の固有名詞じゃなくて
幕府が公用のために徴収した土地の代わりに
そこの住人たち?に与えた土地のことを言うようなんですね。
だから古地図なんかを見ても
「○○代地」って地名が結構ある。
猿屋町代地、南八丁堀三丁目代地、本郷六丁目代地、
旅籠町二丁目代地、御蔵前片町代地、…とか。
で、お秀の家がどこの「代地」かってことなんですけど、
●お勢が向柳原の家から向かって途中に柳橋があるとこ、
●二階から大川へ突き出すように花火見物の桟敷がある、
ということは、大川(隅田川)沿いなのだろうということ。
というところから考えて、
おそらくお秀が住んでる「代地」は
「御蔵前片町代地」ではないかということに。
というわけで、私の地図上では「代地」は↑の場所になっております。
「代地河岸」という言葉で検索すると
今でも? 柳橋の隅田川沿い辺りのことをそう言うようで。
単に「片町代地」と書いてある古地図もありますが、
「御蔵前片町代地」の「御蔵前」というのは
近くに「浅草御蔵」があるからでしょうかね。
古地図をもとにした絵の、
代地の上(北)にあるギザギザしたところが「浅草御蔵」。
ところで
「柳橋」っていうと
「柳橋」って名前の橋もあって
地図で場所を示そうと思うと
つい橋のとこに「柳橋」と書いてしまうのですが、
その橋の上(北)あたりの花街のことも柳橋と言いますね。
お勢が向柳原の家から片町代地へ向かう途中
柳橋の手前で大夕立にあう、
この場合の柳橋は、地名(地域名?)の方の柳橋な気はします。
いやしかし、
代地のお秀の家、
このロケーションで二階の桟敷から
両国橋付近で行ってる花火を見るって
かなり絶景だったでしょうね。
うらやましいかぎりです。
今年(2023年)は
何年かぶりに行われた花火大会も多かったようで。
では、何年か前に撮った柳橋辺りのお写真を。↓
柳橋ではないけれど
隅田川の夜っぽいお写真も↓。
![てんとうむし](https://stat100.ameba.jp/blog/ucs/img/char/char2/055.gif)
では、今回参考にした古地図。
次回につづく!
江戸時代、寺の境内や道で
(茶葉を売る店と区別して「水茶屋」という)
やがて酒食を供するようになって
店の奥に座敷を設けて
約30分。