「銭形平次捕物控 紅い扱帯(二)(三)」野村胡堂 | ゆづき24時 2nd

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朗読「銭形平次」

「紅い扱帯」、公開致しましたー。

 

 

雑談 第2回目です。

 

 

「銭形平次捕物控 紅い扱帯 」

 

「親分、大手柄ですよ」
その晩ガラッ八の八五郎は、

鳴物入りで平次の家へ飛込みました。
「何だ騒々しい、一番槍一番首といったような手柄かい」
銭形の平次は夕飯の膳を押しやって

胸いっぱいの涼風を享楽している姿です。

 

 

 

てんとうむし

 

 

 

「紅い扱帯」の地理的なお話

 

平次の家、神田明神付近から

今回の事件のあった小網町、茅場町はこんな感じ↑ですが。

 

 

染五郎の家、丸屋のあるのは小網町

古地図を見ると、

日本橋川北側

江戸橋湊橋の間ぐらい。

(原文では「港橋」)

 

…というか、現代の地図を見ても、

中央区日本橋小網町は、その位置にある。

 

ホントだ、

小網町から、日本橋川を挟んだ向かい側は、

お絹の実家のある茅場町

 

おや? しかし

原文ではお絹の実家は「新茅場町」になっているけど、

古地図を見ると、その場所は

「表茅場町」もしくは「南茅場町」

 

もしかしたら

胡堂先生の見ている古地図とは

時代が違っているのかもしれないけれど、

 

いろいろ検索してみると、

新茅場町、というと本所の方になるみたいな…

その本所の新茅場町

元々は神田の方にあったりもしたようですが。

 

ま、ここは朗読的には本文通り

「新茅場町」と読んで、

地図の方は、とりあえず「茅場町」とだけ記載しておきます。

 

 
古地図、江戸切絵図には、
茅場町から右に向かった方向の
思案橋、親爺橋、荒布橋、江戸橋、海賊橋
左から向かった方向の
箱崎橋(れ橋)、港橋、霊岸橋
もみんな出ていますが、
 
小網町、茅場町、それとここに出てくる橋、
全部が1枚になってる古地図がない!
 
参考にしたのはですね、
 

尾張屋版 江戸切絵図 日本橋北神田浜町絵図

 

尾張屋版 江戸切絵図 築地八丁堀日本橋南之図

 

 

該当する部分を拡大すると、こう↓。

 

 

 
ちょうど、この、日本橋川のところで
二枚にわかれてるんですね。
 
地図を描くときは、二枚をうまく組み合わせれば…
と思ったんですが、どうしてどうして(^^;
 
どうーにもうまく組み合わさらなくて苦労したんですが、
上記の図になりました(^^;
なんとなく雰囲気や位置関係が伝われば。
ちょっとした歪みや狂いはご容赦ください。
 
 
小網町と茅場町の間にあったという鎧の渡し
 
広重「名所江戸百景」の中で
鎧の渡しを描いてます。
 
歌川広重「名所江戸百景/鎧の渡し小網町」
 
こーんなに蔵があったのかなー。
現在は、この場所に鎧橋という橋が架かっているようです。
 
 
なーんとなく
小網町、茅場町の位置関係や
染五郎とお絹が
紅い扱帯で合図をしあう情景を思い浮かびますねー。
 

 

 

てんとうむし

 

 

 

次回につづく!猫あたま

 

 

 

てんとうむし

 

 
 

(二)

【番頭】【手代】 ばんとう てだい
江戸時代の商家の役職のひとつ。
番頭は、商家で、使用人の内で最高の地位にあるもの。
10歳前後で小僧として住み込んで、→ 手代 → 番頭 となる。 

 

【町役人(ちょうやくにん)】 ちょうやくにん
長屋で集団生活をおくる町人たちの中から、
身分的には同じ町人でありながら、町奉行支配のもとで、町の自治を担った人。
町年寄りの下に、町名主・月行事・書役・家持・家主などがいる。
「町役人(まちやくにん)」と読んだ場合は、町奉行所の役人のことを指す。

 

【三、四間】 さん、よんけん

1間 = 約1.8メートルなので、

だいたい 6~8メートルくらい。

 

 

(三)

【 白木屋お駒 】 しろきやおこま

人形浄瑠璃『恋娘昔八丈』 の登場人物?

実際にあった事件、 白子屋事件の

白子屋 お熊がモデルだとか。

 

【八百屋お七】 やおやおしち

江戸中期の付け火の犯人として有名。

井原西鶴の「好色五人女」で扱われ広まり、

歌舞伎や浄瑠璃などでも有名。

実在したと言われますが、

諸説あって、本当にいたのかな―――?

 

 

 

 

 
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