生まれた家柄に関係なく、人は努力すれば誰でも出世できるし成功できる。

 

この考え方は、階級的に固定された流動性の低い社会と比べた時に、特に歓迎されるものであり、何ら違和感のない考えのように思います。

 

そう、ハーバード白熱教室でお馴染みのマイケル・サンデル先生の「実力も運のうち」を読むまでは、私もそう無邪気に思っていました。

 

階級による不平等を否定する一方で、能力による不平等を肯定することは、ある意味残酷です。そして、勝者には過剰なおごりを生み、敗者には絶望と怨嗟をもたらす、というわけです。

 

2019年の東大の入学式の祝辞にて、上野千鶴子先生が「あなたがたの努力の成果ではなく、環境のおかげだったこと忘れないようにしてください」といった話をした時に、東大生たちの中には、はぁ?と思った人もいたことでしょう。

 

それこそ競争の勝者に生まれる驕りです。

 

私自身も学生時代に、「東大生なんだ?環境に恵まれたんだね」と言われたらイラっとしたことでしょう。

 

当方、怠惰に打ち克って寝る間も惜しんで努力しましたし。と。

 

それに、私の家は、裕福でもなければ両親ともに大卒でもないし、勉強を教えてもらったことも一度もない。そんな中から這い上がるように努力したのは自分自身だ。そんな気持ちが強かったと思います。

 

でも、「勉強なんてせずに働け」、「参考書や問題集も買うな」、「絶対に私立には行かせない」、「電気代が無駄だから夜中に勉強するな」、「お前はどうせ頭良くないから大学行くな」なんて誰にも言われませんでした。

 

逆に、勉強に必要な本だけは惜しみなく買ってくれました。私立の進学校に行きたいと言ったら母親がパートを増やしてまで学費を貯めてくれました。家計をやりくりして塾代も出してくれました。

 

これのどこが、環境に恵まれていない自分につながるのでしょうか。自分はあきらかに驕っていました。

 

相対的に恵まれた環境にいる他人を見て、自分は恵まれていないと嘆き、そんな恵まれていない環境から自力で這い上がったんだと勘違いしていました。自惚れにもほどがあります。

 

勉強を頑張ったのは自分ではあるものの、そんな風に勉強に専念して頑張ることに集中させてくれた環境があったのも事実です。足を引っ張られたり、邪魔するものがなかっただけでも環境に感謝しなければなりません。

 

実力も運のうち」では、米国のトップ大学の入試についても触れながら、能力主義の選別のせいで不安だらけの競争を強いられた結果、学生たちはリベラルアーツ教育の探求的性格になじみにくくなっている、と指摘しています。

 

マイケル・サンデル先生ご自身の10代の記憶としても、競争心が強くなるあまり、成績ばかりを心配して、知的好奇心を失いかけていた、という述懐もあります。

 

この本の中で描かれている米国トップ大学をめぐる問題は、対岸の火事ではなく、東京圏における中学受験の過当競争にも言える話かなと感じました。

 

あらためて、競争に勝つことが重要なのではなく、好奇心をもって知的探索・探求ができることが大事なんだと肝に銘じたいと思います。

 

そして、自分の努力や頑張りの成果として享受するに値する特典を得るという考え方ではなく、たまたま環境に恵まれたのだと思う謙虚さを持つことの大切さも娘に伝えていきたいと思います。

 

特に難関校を目指す中学受験生をもつ親として読んでおくと良い本じゃないかなと思います。

 

 

ちなみに、マイケル・サンデル師匠は私の頭部のロールモデルです(中身は恐れ多いので、せめて頭髪だけでもw)