【イベント回顧⑧】・Ⅱ。
※この章の前半と後半では年度が違いますので予めおことわりしておきます。
先ず、単独行動だった年度のお話から。
折しも私はこの年はプーであった(苦笑)。
なもんで、いつでも対応できる状況にあった。
以前お話した〈リクエスト会議〉の頃の時期になる。
新作アルバムが完成し、レコ発ツアーの日程も既に発表されていた。
プロモーションはアルバムリリース前との情報を得ていた。この件に関してはファンクラブから特に案内はなかった。
今のようにネットも発達してなく、どうやってネタをつかむかが難しくもあった。
ただ、この頃にはまだ〈FMファン〉等の番組情報誌があったのでかなり助かった。
二週間毎に発売されるので、決定してさえいればどの番組に出演するかはわかるようになっていた。
そしてこれから情報を得て態勢づくりに入った。
今回のプロモーションはラジオ局を2日間で三つ回るというもの(ひとつの局での複数番組出演もあり)だった。
但しこの頃にはまだ顔と名前をまだ覚えてもらっていなかったために多少の不安もあった。
しかしファンレターを数出していたのでそれに望みをつないでいた。
~続く
先ず、単独行動だった年度のお話から。
折しも私はこの年はプーであった(苦笑)。
なもんで、いつでも対応できる状況にあった。
以前お話した〈リクエスト会議〉の頃の時期になる。
新作アルバムが完成し、レコ発ツアーの日程も既に発表されていた。
プロモーションはアルバムリリース前との情報を得ていた。この件に関してはファンクラブから特に案内はなかった。
今のようにネットも発達してなく、どうやってネタをつかむかが難しくもあった。
ただ、この頃にはまだ〈FMファン〉等の番組情報誌があったのでかなり助かった。
二週間毎に発売されるので、決定してさえいればどの番組に出演するかはわかるようになっていた。
そしてこれから情報を得て態勢づくりに入った。
今回のプロモーションはラジオ局を2日間で三つ回るというもの(ひとつの局での複数番組出演もあり)だった。
但しこの頃にはまだ顔と名前をまだ覚えてもらっていなかったために多少の不安もあった。
しかしファンレターを数出していたのでそれに望みをつないでいた。
~続く