【イベント回顧⑤】・Ⅲ。
当時の私は今と違う仕事をしており、夕刻には上がれることが出来た。
ハガキに示された開始時刻は夜だったが充分に間に合う頃合だった。
帰宅して軽く腹ごしらえをしてから大阪に向かった。
地下鉄駅からそう遠くもなく、すんなりとたどり着くことが出来た。
通常のオフィスビルだと保安上正面玄関が閉じられている時間帯になるが、このビルは複数テナントが入居しており、玄関は開放されていた。
エレベーター前に我々参加者向けの告知があり、それに従って支社のあるフロアへ。
ドアを開け、来訪の旨を告げるとスタッフが参加状を改め、部屋に案内してくれた。頃合としては開始20分くらい前だった。
既に室内には十名前後の同志が集まっていた。
この当時まだライブ参加経験の浅かった私にとっては見知らぬ顔ばかり。少し肩身の狭い思いもしたが型通りにまずは挨拶した。
後で判明したことであるが、ここに集っていた連中が当時のいわば“顔役”クラスだったのである。
現在の〈唯我独尊軍団〉同様に典型的な「トップダウン」のファミリートゥリーだったらしい。
しかしそんなことを知る由もない私は友好的に振る舞うしかなかった。
~続く
ハガキに示された開始時刻は夜だったが充分に間に合う頃合だった。
帰宅して軽く腹ごしらえをしてから大阪に向かった。
地下鉄駅からそう遠くもなく、すんなりとたどり着くことが出来た。
通常のオフィスビルだと保安上正面玄関が閉じられている時間帯になるが、このビルは複数テナントが入居しており、玄関は開放されていた。
エレベーター前に我々参加者向けの告知があり、それに従って支社のあるフロアへ。
ドアを開け、来訪の旨を告げるとスタッフが参加状を改め、部屋に案内してくれた。頃合としては開始20分くらい前だった。
既に室内には十名前後の同志が集まっていた。
この当時まだライブ参加経験の浅かった私にとっては見知らぬ顔ばかり。少し肩身の狭い思いもしたが型通りにまずは挨拶した。
後で判明したことであるが、ここに集っていた連中が当時のいわば“顔役”クラスだったのである。
現在の〈唯我独尊軍団〉同様に典型的な「トップダウン」のファミリートゥリーだったらしい。
しかしそんなことを知る由もない私は友好的に振る舞うしかなかった。
~続く