われわれはパンダである
ボドルムから夜行バスでブルサに着いた日、町を歩いていると子連れの女性が声をかけてきて、
「娘と一緒に写真を撮らせて!」
という。
わたしらはパンダかツチノコか。
母親は娘にもっとひっつけと指示を出し、少女は「ヒッ」と声を出しておっかなびっくりしながらやや距離を縮めてきた。
一応薄い笑顔で写真におさまってやったが、
失礼な。とってかみつきゃしねえよ……
と内心思っていた。
おそらくここ数年旅行者は激減していたであろうし、来たとしてもアジア人は団体客が多そうである。
そのへんを少人数でうろうろしたり、安い食堂やカフェに出入りするわれわれは珍しい存在なのかもしれない。
現にカイセリやコンヤでもしょっちゅう「どこから来た」だの「英語は話せるか」だの「中国か日本か」だの声をかけられ、たいていは好奇心むき出しの不快な口調であったので無視を決め込んでいた。
イスタンブール以外でアジア人を見る機会は、確かに少なかった。
しかしその物珍しさによって、温かいもてなしを受けることもあった。
ブルサでその日の観光を終えてほっと一息つこうと宿の近くにあるカフェに立ち寄った。
その店の主人はシルバーグレイの髪を後ろにたばね、佇まいがいかにも「喫茶店のマスター」。
わたしがトルココーヒーをカメラで撮影していたら、カメラを貸せと言って、われわれの写真を撮ってくれた。
コーヒーを飲んだ後にチャイはいるかと問われ、チャイも飲んでさて会計の段になると、
「チャイは私から」
と言ってサービスしてくれたのだった。
その後もブルサの歓迎は続く。後編へ。
(ブルサ市博物館地下、ケバブ屋の再現コーナーにあった等身大の人形が夫に似ていた。
ヒゲを生やすとこのような感じであろうか。
夫は頑なに否定している)