カラコルム博物館
「あれがカラコルムの博物館。
日本人でしょ、JICAって知ってる?
その協力で建てられたもので、わたしたちは誇りに思っているんだよ」
バスターミナルから宿に向かう途中、宿の主人は指さしてそう教えてくれた。
カラコルム博物館では、ここカラコルムとその周辺からの出土品や、この町の歴史を展示している。
土埃と廃墟の目立つ町のなかでは、かなり気合いを入れた部類の設備である。
入り口には碑文つきの亀石レプリカがあり、建物に入る前からわたしは「博物館モード」に入った。
つまり野帳とペンを双方の手に持ち、眼球がやや前のめりになり口元がゆるむ状態である。
ああ、こういう地方博物館は大好きである。
首都のでっかい博物館とは違うワクワク感があり、特にカラコルムは歴史的にいかにも面白そうだ。
なんせカラコルムはチンギス•ハーンがモンゴルを統一した後首都として指定し、外国人がたくさん訪れたかつての国際都市。
中に入ると中央に当時の街の模型があり、寺院やゲルだけでなく、モスクや教会もあって、さまざまな民族、信仰の人々が商業地区や職人地区を形成して暮らしていたということがわかる。
大帝国ができる以前には、柔然、ウイグル、突厥、契丹などがモンゴルを支配していた。
展示を眺めていると、入れ替わり立ち替わりやってきた遊牧民族の歴史を早送りで感じることができる。
遺物は歴史を語るが、かたち自体を眺めるのも好きだ。
エルデニ•ゾー寺院の再建の際に見つかったという文様入りのレンガは、動物や記号が記されたもので、そういえば日本の城の石垣にもたまに記号つきのものがあったなあ、と思い起こした。
またその中の一つが済州島でみたイ•ジュンソプという画家の描く、シンプルでちょっとゆるい人間の顔に似ており、済州とカラコルムがつながって思わずにやりとしてしまった。
ほかにもマルコ•ポーロも持っていたという当時のパスポートや、当時のアフリカとの関係を示すファラオの仮面のレプリカなどが展示されており、何もかもに興奮してスケッチしていたところ、日本人の男子学生から「日本の方ですか」と声をかけられた。
せっかく話しかけてくれた礼儀正しい学生さんには申し訳ないが、わたしは当時のパスポートの上部にくっついている龍を記録しているところで、とおりいっぺんの挨拶のみで話を広げることはしなかった。
大人は忙しいのだ。
しかし冷静になって振り返ると、彼らの目にわれわれはどのようにうつっただろうか。
わたしだって昔は一生懸命勉強したり身を粉にして働いたりした時期があり、残業をして酒も飲んだ立派なニッポンの社会人であった。
しかし今はモンゴルで、昔のパスポートやファラオを前に浮かれる何の肩書きもない旅人である。
人生、一寸先は闇。
いや、一寸先は旅である。
学生さんにはそういった人生の不可思議さをモンゴルで学び、われわれを反面教師として立派な大人になって、できればわたしの分も勤労と納税の義務を果たしてほしいものだ。
それはともかく展示に話を戻すと、特別展であろうか、Shoroon Bumbagarという一見シュリンプハンバーガーのようにも見える名の遺跡に関する展示があった。
7世紀の地位のある人の墓であり、粘土の人形や壁画がたくさん発見されたらしい。
墓の構造も複数の部屋から構成されており、興味深い。
ミュージアムショップではこの墓に関する冊子が売られており、英語訳も載っていたため思わず購入。
荷物は重くなるが出会いは一期一会である。
そして博物館の敷地内には期間限定でゲルが設置されており、その中にはモンゴルの生活に関する展示があった。
乳製品の種類や羊のくるぶしの骨を使った遊びなどが展示されていて、この空間にある全てを知り尽くしたいという欲望にかられる。
その欲望のままメモをとり続けたら、右手が腱鞘炎になりかけた。
こういうことはたまにある。
博物館めぐりは体力勝負なのである。
しかし手も痛いしその日は引き上げ明るいうちに宿に戻り、翌日にまた、てくてく歩いて博物館へと出向いて続きを堪能したのだった。
あー楽しいな博物館!
この勢いで後編に続く。
(カラコルムの食堂で適当に注文すると卵焼きが乗っかった土鍋がでてきて面食らった。
なんじゃこりゃ。
が、卵をめくるとおかず3種とご飯が出てきて、一緒くたにして食べたら大変おいしく、何度もびっくりさせられた)