ハゲとめがねのランデヴー!!

ハゲとめがねのランデヴー!!

『深夜特急』にあこがれる妻(めがね)と、「肉食べたい」が口ぐせの夫(ハゲ)。
バックパックをかついで歩く、節約世界旅行の日常の記録。

 

めんどうな事態

 

グアテマラシティでの博物館めぐり3つめは国立考古学民族学博物館である。

 

開館時間直後に入館するとさっそく問題が発生した。

 

チケットの支払いは現金のみだが、われわれが札を出すとつりがないという。

渡したのは高額紙幣ではなかったが、それでもつりがない。

 

「カードで払えないなら小銭ぐらい用意しておけ」と思うがそれはこの博物館に限ったことではなく、海外ではわりとよくある事態である。

 

で、「おつりはあとで返すから、帰るとき寄って」と言われることもたまにあるが、われわれは経験上「今すぐ返してもらわなければより面倒だ」ということも知っている。

 

わたしは受付の女性に

 

「あなたはいつまで受付にいるのか。

つりが発生していると一筆書いてくれ」

 

と頼んだ。

担当が変わった際にこちらがスペイン語で説明しなくてすむようにするためである。

 

しかし女性は紙とペンはよこすものの自ら何も書こうとはせず、わたしは何度も同じことを頼まなくてはならなかった。

膠着状態に陥り途方に暮れていると、女性は意味がわからないといった様子でこう言った。

 

「どうして? 45分から1時間くらいで見終わるわよ?」

 

わたしの血圧は瞬時に上昇した。

 

グアテマラに見るべきものはたくさんあるのに、貴様、バカにしているのか!

1時間で見終わる?

マヤ文明をなめるなッッ!!

 

と、なぜ外国人のわたしが熱くならなければならないのかわからないが、そんなやりとりをしているうちに別の客が来て現金を出し、われわれはその場でつりを受け取る運びとなって、やれやれやっと入館であった。

 

 

 

 

石碑の森で

 

結果から言うと、この博物館は45分で見終わることは到底不可能な充実ぶりで、1日がかりで観覧した。

受付の女はやはりマヤをナメくさっていたのだ。

 

そして考古学民族学と銘打っていてもそのほとんどを考古学展示に割いており、民族学についてはあまり気合いが入っていないように見えたので、ほぼ考古学博物館として考えてよいと思う。

 

8つのテーマに分かれた展示はそれぞれ見応えがあったが、この博物館のハイライトは、噴水のある中庭を囲んだスペースに展示されている石碑であろう。

 

6〜9世紀頃の大型の石碑や石像が林立しており、わたしはまるで石碑の森に迷い込んだ気分になった。

天井高い建物を活かしたダイナミックな展示だ。

 

白い石に彫り込まれた文字と絵。

それを下から上へと見上げる。

 

ときにスリランカ、シギリヤ遺跡の壁画「シギリヤレディ」を思い出すような流れるような筆致の人物や、同じくスリランカの遺跡でよく見る「マカラ」に似た動物(怪物?)もあるかと思えば、コミカルでかわいらしく「いかにもマヤ」なデザインもあって何周しても飽きない。

 

ああ、わたしはやはり、中南米が好きである。

 

わたしと夫はどっぷりとマヤに浸り、なかなか森から出られなくなってしまったのだった。

 

 

 

(「マッシュルームストーン」と呼ばれる石像。

動物や人がくっついているものもあり、使用方法には諸説あるよう(儀式など)。

 

アンデス文明では性的な場面を表した土器が多々あったため、わたしははじめこれは男性器を表しているのではないかと思ったが、マヤではそうした造形はあまり見当たらないようだ。

なーんだ)

 

(モザイク状の器。

前部には動物の形のような突起がある)

 

(昔のフィギュアも現代に負けていない。

頭飾りの細かさに脱帽)

 

(カンガルー……?)

 

(このようなタイプの器は初めて見た。

慌てた女の子のようなファンシーなキャラクターが描かれているように見えてしまう)

 

(何と言ったらいいのかわからないが、人が動物に食われているデザインは珍しくはない)

 

(文字は絵であり絵は文字である。

一つ一つにさまざまな生物が見える)

 

(胸当てなどの装飾、右手に持っているもの、そうしたものすべての意味を知ることができたらいいのに)

 

 

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 マヤ最古の絵文書

 

グアテマラシティのミラフローレス博物館を訪れた翌日、われわれはポポル・ヴフ博物館に向かった。

この博物館はフランシスコ・マロキン大学内にあり、展示室は「まあ大学の棟の中だなあ」というあまり広くはないものだったが、遺物の充実っぷりは見事だ。
無理なく歩ける動線は確保しつつ、ぎっしりみっちりかなりの量を詰め込んでいる。

ラテンアメリカの文明として混同されやすいアンデスとマヤだが、その大きな違いは文字の有無にあるのではないか。


マヤには文字があり、そして本があった。

この博物館には『ドレスデン絵文書(えぶんしょ)』と呼ばれる書物のレプリカがある。

スペイン征服以前に書かれた、現存する南北アメリカ最古の本。

13世紀のものと推定され、惑星の周期、新年の儀式などについて触れられているそうだ。

 

蛇腹折りのその本は仏教の経典のような雰囲気を放っているが、しかし近づくとマヤ文字や絵が、ときには赤、黄、水色といった、土器と同じ色合いを使って美しく描かれている。

 

「マヤの都市にはおそらくたくさんの書物があったが、時間の経過やスペインの征服によってほとんどが失われた」という説明もあったので、それらが残っていればどんなにこの文明についての解明が進んだであろうか、と悔しい気持ちになる。

 


さて、この博物館には他にもマヤ世界について気になるあれこれが盛りだくさんであった。

 

たとえばよくモチーフとなっているジャガーについて。

 

アンデスにおけるネコ科動物は地上世界を代表する生き物であったが、マヤではジャガーは地下世界と結びつけて崇拝されていたらしい。

 

またそのデザインについては、アンデスのネコ科動物の描写と比べると、マヤのジャガーはまるでぬいぐるみのようだ。
顔や体が丸っこく、肉付きがよくて、ワタをつめてUFOキャッチャーの景品にできそうな可愛らしさがあるのだ。

ほかにもよくモチーフとして現れる鹿や月については、

 

《いくつかのマヤの宇宙創造の物語によると、鹿が月の足の間をけっとばし、その部分が女性器になった。

そして太陽が月と交渉し、世界初の性的な行為となった。》

 

などと説明があったのが印象に残った。

 

鹿というのは狩りの対象であったり、ツノの生えかわりから再生のイメージをもたらしたりしているけれど、そのような受動的でおとなしいだけの動物ではなかった。

それどころかずいぶんけったいなことをしているものだ。

月にとっては安寧を妨げられていい迷惑ではないかと思った。



そのようにこれまでよく知らなかったマヤの世界へと没入していたが、同じく集中して見ていた夫はその後、壁のシミや意味のない形を見ては、

「何見てもマヤの顔に見えるねん。
マヤ脳や」

と言った。

遺物に描かれたうねりのある人の顔をいちいち連想してしまうらしい。

夫も旅の残りをマヤに捧げる覚悟があるようだ。

 

 

 

(ジャガーがくっついた巨大骨壺のフタ)

 

(三脚に切れ込みがある器はコスタリカでも見たが、これも音が鳴るのだろうか。

振ってみたくなる)

 

(文字というのは美しいものだと気づく)

 

(絵と文字が組み合わさっているのが新鮮だった。

同じくヒエログリフのあるエジプトもいつか見に行きたい)

 

(どことなく日本の正月を連想してしまうのは、赤や黄色を多用し、しめなわやカドマツに見える造形が見られるからだと思う)

 

(ミニチュアの骨壺)

 

(長い尾が特徴の鳥、ケツァル。

グアテマラは通貨単位も「ケツァル」である)

 

 

(ドレスデン絵文書)

 

 

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グアテマラに着いて

 

ペルー、コロンビア、コスタリカと北上し、次はグアテマラである。

 

われわれは首都グアテマラシティに飛び、中米2か国目の滞在となった。

 

グアテマラシティはわたしにとって、けっこう大変な町かもしれない。

というのは宿は観光客向けの地区にあり、まわりはオシャレなタコス屋や高級カフェばかりで普通の食堂など見当たらない。

 

コロンビアやコスタリカと似た〈ご飯+豆+バナナ〉といったワンプレートランチを期待していたわたしは、見渡せど見渡せどタコスとホットドッグばかりの状況にげんなりした。

タコスは好きだがそれはメキシコの屋台や路上で食うタコスであり、レストランになった途端に食う気がなくなってしまう。

 

高級地区を離れローカルな定食屋が見つかるとほっとして、肉やサラダ、豆のペーストとともにトルティーヤ(トウモロコシを原料にした、手のひらサイズのうすい生地)を食べた。

 

グアテマラの主食はトルティーヤであり、メキシコと国境を接する国であるなあと思う。

 

 

マヤ世界への入り口

 

さて、われわれはグアテマラシティで4つの博物館を訪れるつもりだ。

 

まずはミラフローレス博物館。

立派なショッピングセンターと繋がったスタイリッシュな建物の中に、これまた洗練された展示パネルとともに、石像や土器が展示されている。

 

そこにはマヤの数のシステム(20進法)やマヤの宇宙観を表す本『ポポル・ヴフ』、マヤのボール・ゲーム(球戯)などの説明がなされ、おもいっきりマヤマヤしていた。 

コスタリカでもマヤ文字らしきものが刻まれたヒスイを見たが、やはりそれはほんの一部の遺物だけで、グアテマラに来てガッツリとマヤの領域に来たのだと実感する。 

 

われわれはグアテマラ入国とともにマヤへの扉をくぐった。

あとは奥へ奥へと進むのみだ。


 

(博物館の屋上から景色を見渡せる)

 

(マヤの顔つきは分厚い唇や立派な鼻、全体的な丸みなどが特徴)

 

(マヤ世界で行われていた球戯の道具)

 

(夫のお気に入り「口からピロピロおじさん」)

 

(土器の型)

 

(1100年以上昔の香炉)

 

(これも香炉であり、カカオの形をしている。

こうした遺物が示すとおり、カカオは当時のメソアメリカにおいて重要な意味を持っていた。

 

このパカっと割れる感じが、カカオ豆が川をドンブラコと流れ下り、そこから子どもが飛び出して、老夫婦に「カカオから生まれたチョコ太郎」と名付けられる様子を想像させる)

 

(展示室もまたよい眺め)

 

 

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コスタリカの黄金博物館

 

コロンビアの黄金博物館に3日間通うほど魅せられたわれわれは、コスタリカの首都サン・ホセにも黄金博物館があると知り、コスタリカを発つ前に訪れた。

 

広場の地下にあるその博物館は地下3階建て。

絵画の展示スペースもあるが、メインはやはり「プレコロンビア黄金博物館」である。

 

同じくサン・ホセにあるヒスイ博物館や国立博物館ほどの規模はないものの、地下空間に広がる展示は見やすく整理され、英語の説明も豊富にあった。

何よりこれほどの黄金製品はサン・ホセの他の博物館にはなかったので、ヒスイ、歴史、黄金というふうに、博物館ごとにうまくすみわけをしているのだと思う。

 

さて、展示の内容に話を移そう。

 

冶金の技術は南米から、コロンビア、パナマ、コスタリカと、交易などを通して広まった。

そのためなのか、コロンビアで見た黄金の遺物と共通するテーマや形がけっこうあるなと感じた。

特に双頭の鳥は、ボゴタの黄金博物館で見たものと似ていたのである。

 

しかし似てはいても特徴はあって、やはり微かにセンスが違う。

 

コロンビアはどちらかというと抽象化を進め、ユニークなデザインに突き進んでいった印象を受けたが、コスタリカは抽象と具象を組み合わせており、リアルな質感がある。

 

たとえばコスタリカの黄金のカエルは足が平たく強調され頭部に飾りが加わっていても、身体はぬめりを感じさせるような造形である。

また、モチーフとなる動物の種類はコスタリカのほうが多いのではないかと思う。

 

こうなると俄然パナマに興味がわいてくる。

コロンビアとコスタリカにはさまれたこの国には、どのような黄金の作品が遺されているのだろう。

 

 

コスタリカとは溢れる自然が観光の中心であり、エコ・ツーリズムとは暑くて蚊に刺されそうで全く興味がわかなかったが、こうして思いがけず動物たちの姿をたくさん見ることができた。

 

そしてその動物たちはワニ、カエル、鳥、蝶などさまざまであり、デザインも一つ一つ異なっていて、わたしは「たしかにコスタリカは生物多様性の国だなあ……」と納得したのであった。

 

 

 

(黄金のカエルはバリエーション豊か)

 

(顔にくっついた飾りがみな異なっている)

 

(コスタリカは立体感のある加工技術に優れていると思う)

 

(水生生物であろうか。

手足もどことなく顔に見える)

 

(お腹がポッコリしていて妙に艶かしいところが、コスタリカの個性を感じる)

 

(Talamancaでは、蝶は現実と超自然的な世界に生息し、ポジティブな力とネガティブな力を仲介する女性であるという)

 

(動物だけでなく、兵士やシャーマン、楽器を持つ人なども。

楽器を複数持っているのはスキルの証であるとか)

 

*コスタリカ編おわり*

 

 

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コスタリカの物価

 

 

 

コスタリカは中南米の中では物価が非常に高い。

そのことはコスタリカに住む友人やコロンビア人の友人から聞いていた話であった。

 

実際に来てみると、たしかに宿の値段はペルーやコロンビアの1.5倍くらいするし、コンビニで見かけるジュースや軽食の値段は日本以上であった。

 

無論ヨーロッパと比べたらまだまだ安いが、たしかにある程度の安さを期待してしまう中南米の中ではコストのかかる国だといえる。

 

しかし高いんだけれど、食堂に関しては「高い分、具が多い」という気もする。

 

今回まわったラテンアメリカの国々では、

 

ボリビア→ペルー→コロンビア→コスタリカ

 

の順で定食の値段が上がり、しかし値段に比例して具材に肉が増え、豪華になるような気がする。

 

わたしとしてはコロンビアの食事が一番、量と値段の折り合いがついてちょうどよかったように思う。

500円ちょっと出せばある程度の肉の乗ったワンプレートランチが、飲み物つきで出てきたからだ。

 

コスタリカではまともに昼食を食べようとすると1000円近くかかりそうであった。

このままでは破産する。

 

コスタリカの首都サン・ホセでなんとか比較的安い食堂を見つけたがそれはニカラグア料理屋、そしてその近くにあった手頃なパン屋兼カフェの名は「コロンビア」であった。

 

移民のいる国なのだなあと、しみじみ思う。

われわれとしては安くておいしいならどこの料理でもよいので、これらの店を頻繁に利用した。

 

さて、これらの店は店名こそ外国風ではあるが、メニューは通常のコスタリカの食堂と差がないように思われたので、こうした店で食べたものも「コスタリカの食事」として話を進める。

 

 

甘いバナナはご飯のおとも

 

コロンビアの定食では豆の煮込みや焼き(または揚げ)バナナが定番の付け合わせであり、それはコスタリカでも同様だった。

博物館ではコロンビア、パナマ、コスタリカの黄金製品に共通する要素が見られるとあったので、食文化もこの3国は近いのかもしれない。

 

しかしコロンビアのバナナは甘さ控えめでホクホクした食感があり、バナナには果物というよりも、イモの役割が期待されているように感じた。

 

しかしコスタリカではバナナがじっくり黒くなるまで焼かれており、熱を加えることで甘味が最大限引き出されとっても甘い。

イモ要員ではなく、果物のバナナとしての存在感がある。

 

同じような見た目のワンプレートメニューでも、この差は大きいのではないか。

両国に挟まれたパナマではバナナに何を求めるのだろう。

いずれパナマを訪れてその検証をしてみたい。

 

で、じっくりと焼いた甘いバナナがご飯や肉料理とともに出されるのであるが、わたしはそれはデザートではなくあくまでおかずなのではないかと思う。

というのは信じがたいことに、甘いバナナとご飯は非常に合うのである。

 

夫は「酢豚にパイナップルは不要」という人間であり、きっと甘い焼きバナナにもぶつぶつ不平をもらすのではないかと思っていた。

しかし予想に反し、夫も「ご飯に合うなあ」などと言っている。

 

濃厚でねっとりした甘みのどこが米に呼応するのか。

それは未だにわからないが、バナナというものはたくあんや「ご飯ですよ」に負けず劣らず、しっかりご飯のおともを務めているのだった。

 

 

 

(カフェ「コロンビア」の朝ごはんメニュー。

「ガジョピント」という豆ご飯をよく見かけた)

 

(ニカラグア料理店のランチ。

薄めだが大きなステーキ、サラダ、豆煮込み、そしてもちろんバナナつき)

 

(別の店でテイクアウトした弁当。

中央手前に大きなバナナが2本ある。

ちなみに同店では「バナナのセビーチェ」なるものもあり、それはバナナを(おそらく)茹でてから玉ねぎ、赤パプリカ、トマト、パクチーとともにマリネしたものだった)

 

 

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コスタリカのセビーチェ

 

「セビーチェ」について語るときが再びやってきた。

ペルーですっかりはまった魚のマリネ「セビーチェ」が、コスタリカにもあるのだ。

 

 

 

同じエンパナーダでも国によって焼いたり揚げたり具材も異なるように、セビーチェもまた、ペルーとコスタリカでは具や味が微妙に異なる。

 

コスタリカの首都サン・ホセ近くの町に友人を訪ねた際、わたしのセビーチェ好きを知っている友人はセビーチェ専門店に連れて行ってくれた。

 

そこで注文したのは「海岸風セビーチェ」。

たっぷりの白身魚に、細かく刻んだ玉ねぎ、赤パプリカ、パクチーが加わり、美しく白いマリネ液に浸かっている。

 

そして上には大きなエビ。

 

プリプリ! プリプリっ!!

 

と視覚に訴えてくるエビが5つものっかっている。

あまりにプリプリしているのでつい「ダイヤモンドだね ♫」と歌いたくなる。

 

柑橘系の強い酸味で締められていたペルーのセビーチェとは違い、この店のセビーチェはマリネ液がマイルドである。

 

友人曰く、マヨネーズ入りのセビーチェはコスタリカではそれほど一般的ではないらしいので、これが「コスタリカの定番セビーチェ」というわけではないかもしれない。

しかしこの店のセビーチェに限らずコスタリカ料理とは味にクセがなく、たとえばエスニックな料理が苦手な人でも抵抗なく食えそうだと思う。

 

 

小袋にマリネを注ぐ

 

こうしてわれわれはセビーチェの味を思い出してしまい、友人の住む町からサン・ホセに戻ったあとも、宿の近くにセビーチェ屋を見つけたので入ってみることにした。

 

看板には「カルドッサ」とあり、チップスの袋とセビーチェが描かれている。

 

「カルドッサ」。

 

わたしはすでに友人から「カルドッサ」の存在を教わっており、それは「チップスの小袋に魚のマリネを注いで食べる軽食」だと聞いていた。

そのときわたしは

 

「袋にマリネを注ぐ?

まあ、セビーチェにバナナかポテトのチップスをつけるか交互に食うかするんだろうな」

 

と思っていた。

 

「カルドッサ2つ」と注文すると、セビーチェ屋の兄ちゃんはまず、まるでコンビニのように並べられた一人用の小袋チップス各種の中から、どれがよいか選べという。

 

われわれが答えあぐねていると、「一番うまいのはこれだ」と言ってハラペーニョ(ちょっと辛め)の三角チップスをすすめてくれたので「それにしてくれ」と頼む。

 

すると兄ちゃんは袋の上から軽くチップスを潰したあと、その小袋を開け、なんとそこに、セビーチェをマリネ液ごとドバッと注ぎ出したではないか……!

 

兄ちゃんは「マヨネーズ? ピカンテ(辛い)?」と味の好みをきいてきたので、わたしはマヨネーズとケチャップを、夫は辛いサルサも少々と答える。

すると兄ちゃんはそれらをセビーチェの入ったチップス小袋にぶっかけていった。

 

最後にスプーンを差し込み、たっぷりと注がれたマリネ液によって重くなったチップスの小袋を渡された。

 

おお、まさしく友人の言っていた通りではあるが、しかし予想外のスタイル……。

 

マリネ液が小袋からこぼれないように常に手で支えながらスプーンですくって食べる。

 

マヨネーズやケチャップによりややジャンキーになったセビーチェは、しかし魚のマリネとしての風味も失っておらず、チップスのパリッとした食感も加わっている。

まるで魔法にかかったかのように食べるのをやめられないではないか。

 

一袋450円ほど。

物価の高いコスタリカでは手が出しやすい値段であり、たっぷり入った魚の量を考えると割安である。

 

割安だからいいか、いいよね?

 

と自らに言い訳しながらもう一袋ずつ食べた。

あー贅沢した、すんげえうまかった!

 

店の兄ちゃんはわれわれが店を出るとき、

 

「明日はエビやタコが入ったセビーチェがある。

うまいぞ」

 

と声をかけてくれた。

 

われわれは素直で実直な夫婦であるので翌日もそのセビーチェ屋に出かけ、今度はカルドッサではなく「エビやタコが入ったセビーチェをくれ」と注文。

 

今度は前日とは違い、真っ赤な汁に浸かったマリネがバナナチップスとともに出てきた。

魚、タコ(イカ?)、玉ねぎ、パクチー、赤パプリカの上に、これまたプリプリのエビ。

 

ちょっとピカンテなトマトベースのマリネ液に浸かったエビは、まさしくエビチリ。

エビチリは中華の専売特許ではなかったのだ。

 

兄ちゃんが「どうだ、うまいか?」と聞いてきたので「うまい、うまいよ」と返事をすると、兄ちゃんは常連らしき客とハイタッチしていた。

わたしもハイタッチに加わりたい気分になった。

 

ペルーに引き続きコスタリカでもセビーチェに出会い、それはやはり中毒性のあるおいしさだった。

 

特に「カルドッサ」はそのジャンキーでカジュアルでポップな魔性の逸品であり、思い出すとどうしようもなく食べたくなるのだった。

 

 

(友人が連れていってくれたグレーシアの店にて)

 

(カルドッサ)

 

(見た目から想像するよりずっとうまい)

 

(エビチリ風セビーチェ(と勝手に呼んでいる))

 

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あこがれの家具

 

ヒスイ博物館の向かいに建っているコスタリカ国立博物館は、自然科学・考古学・歴史など総合的な博物館であり、コスタリカのあれこれがてんこ盛りであったが、もうここからは「メタテ」の話だけしようと思う。

 

「メタテ」とは「石皿」と訳されるようで、本来は穀物を挽くための土台である。

しかしヒスイ博物館の説明によると、日常使いだけでなく儀式に使用されたり、死者とともに埋葬されたりもしたようだ。

 

その「メタテ」が、ヒスイ博物館、そして国立博物館にいくつも展示されているのである。

以下はすべて国立博物館のもの。
 

(ジャガー? 型メタテ)

 

(首の連続。

ペルーのナスカ土器でも「首級」という人の首がモチーフとして多々使われていたのを思い出す)

 

(透かし彫り)

 

この装飾の凝り方を見ると、儀式や埋葬に使用された特別な道具だったということがよくわかる。

さらにひっくり返すと、こうなる。

 

 

一見さほど凝っていない普通のメタテに見えても、裏からみると人や鳥などが描かれているのである。

 

さらにメタテには「フライング・パネル・メタテ」というものがある。

そのアクロバティックな名称に違わず、いや、実物はさらにもっとフライングしている。

 

(逆さまに人)

 

(夫は「ウサギおじさん」と呼んで気に入っている)

 

(複数の動物が複雑に繋がる)

 

(シンプルだが力強い鳥たち)

 

ヒスイもそうだが、石のような固いものに穴を開け細工をするという技術が、コスタリカでは非常に発達していたのだろう。

3点で支えられたメタテのバランス、造形美にわたしはガツンと衝撃くらった。

 

欲しい。

 

座ったりスパイスを挽いたり小机にしたり、さまざまな用途に使える万能家具。

1000年以上経っても劣化しない頑丈さも魅力だ。

 

わたしは今まで家具については特にこだわりがなく、安くてしっかりしていれば大量生産品で十分だと思っていた。

しかし「メタテ」に出会ってしまった今、こうした美しさと機能性を兼ね備えた家具こそぜひ所有したい。

 

 

そういえばフィリピンの「ハガビ」にも同様の所有欲がわいた。

 

「ハガビ」とはフィリピンの山岳地帯に住むイフガオ族の木製ベンチであり、中央が一番高く、ゆるやかな山の形をしている。

斜めになっているので座り心地はあまりよくなさそうである。

 

しかし心惹かれるのは左右に動物の頭部のかたちをした飾りがついており、座りにくいがゆえの、注意深く座らなくてはいけない特別な感じがなんともいえないからだろう。

 

しかしこれは博物館の説明等によると、一定の手順に沿ってセレモニーを行いつつ作られ、かつ持ち主の威信を示す特別なものでもあるので、わたしのような人間が所有するなど言語道断である。

そういうのをきっと「文化の盗用」というのだ。

 

 

こうした家具の本物を手に入れるのはいち旅行者には難しく、酒やつまみをペルーの土器に盛り付け、それを「メタテ」の上に置き、「ハガビ」に座って晩酌するなどというのは夢のまた夢である。

 

しかし、ああ、この思いよIKEAに届け。

ニトリに伝われ。

 

バレないようにこっそり文化を盗用して、1万円くらいの「フライング・パネル・メタテ風小机」などを作ってくれたらいいなと思う。

 

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コスタリカの緑の宝

 

コスタリカの首都サン・ホセに着き、われわれがまず訪れたのは「ヒスイ博物館」だった。

 

繁華街近くにあるが、繁華街といっても高い建物が林立しているわけでもなく、どことなくおとなしい街並み。

ヒスイ博物館の目の前には広場をはさんで国立博物館もあって、落ち着いたエリアだ。

 

博物館の建物はいかにも「ビルディング」という箱型だったが、シンプルなつくりの中にはかなりの収蔵品があり、展示室ではそれぞれのテーマに合わせ、森や夜の気配を作り出している。

 

まずは常設展、ヒスイを中心に据えた展示室に入ると、いきなり見たこともないようなヒスイの人形や、赤やオレンジを多用した多彩色の土器が現れた。

 

南米北部のコロンビアでは、どことなくアンデスとの連続性を感じさせる土器もあり、見知った表情があった。

しかしこのヒスイや土器を見ると、もうここはメソアメリカである! と実感する。

われわれはアメリカ大陸を北上し、アンデスから離れ、また新たな文化圏に来たのである。

 

コスタリカはヒスイの産地ではないようだが、グアテマラなどから原材料を運んで加工していたらしい。

人間や動物をモチーフにしていてもどことなくスタイリッシュに細工されており、ヒスイの緑色やツルッとした表面も魅力的。

 

別の部屋では「昼」「夜」などをテーマに、森や海の動物、コウモリやフクロウなどをモチーフにした土器が並べられ、一室ごとに長編映画を一本見たかのような充実感があった。

 

さらに最上階には収蔵庫もあって、ガラスケースの中に所狭しと土器がならんでいる。

ここだけでも何時間か見ていられそうなラインナップであり、実際夫はそのようなペースで写真を撮っていたので、わたしは夫に

 

「時間配分考えて見るんやで!」

 

と言いたくもない小言を言うハメになった。

一点一点じっくり見たいという気持ちは痛いほどわかるが、入館料が高額なため1日で見終わる必要があったのである。

 

しかし充実感がありすぎるのも困ったもので、博物館を出るころわれわれはぐったりしていた。

2人とも撮影に精を出しすぎて途中でカメラの電池が切れ、予備の電池を交互に譲り合って使わなければならないほどだった。

 

気づくと6時間半も飲まず食わずで観覧しており、こんなことはトルコのアナトリア文明博物館以来である。

 

コスタリカ 期待せず来て 大興奮。

 

などとつい一句読んでしまったが、とにかくこの国は、この国の持つ遺物の質と量は、予想していた何倍もおもしろいものなのだということが、ヒスイヒスイ……いやヒシヒシと伝わってくる展示であった。

 

 

(ダースベイダーは宇宙ではなくコスタリカにいる)

 

(こういう絵をみると、メソアメリカに来たのだなあとつくづく思う)

 

(顔前部の歯車のような装飾が、この地域のセンスを感じさせる)

 

(一度でいいからこういう器に日本酒入れて飲んでみたい。

いや、チチャ(トウモロコシ発酵酒)のほうが合うかなあ)

 

(三脚部分に切れ込みがある土器が多々あり、その中に小さな球が見えたものがあったので、音が鳴るよう仕掛けられているのだと思う。

現代人には想像できないくらい、昔はきっと、音は神秘的な効果があったのだろう)

 

(いろいろなところが突き出ている)

 

(足がリアルで夜中に動き出しそう)

 

(なにかをやらかした土器)

 

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コスタリカで餃子を食う

 



その日の夕方、コスタリカに住む友人は間借りしている家にわれわれを招待してくれた。

簡易キッチンや専用バスルーム付きの部屋には、コスタリカでの不便に対抗すべく凝らした工夫が随所にあった。

 

シャワー、台所事情、日用品の常識がことごとく違う外国暮らしのなかで、日本の製品をうまく組み合わせてやりくりしている。

そのやり方が妙に友人らしくてつい笑ってしまう。

部屋というのは持ち主を表すなあとつくづく思う。

 

友人の漫画を借りて読んでいる間、友人は夕飯の用意をしてくれていた。

われわれのために手作りの餃子を準備してくれたのだ。

 

友人、夫と一緒に具を包み、フライパンに並べ、大家さんのキッチンを借りて焼く。

ほどよく焦げ目がついた焼きたての餃子は本当においしい。

 

わたしは友人の部屋で、自分が海外にいるということを忘れた。

 

日本そのものは恋しくはなく、ある程度どこにいてもやっていける。

しかし心からほっとしたのはいったいいつぶりだろう。

 

まわりを警戒する必要のない空間で、日本の友人と日本語で話し、酢醤油で餃子を食べている間、わたしは1年以上続いている緊張状態から束の間解放された。

そして久々に声を出して笑った。

 

 

今回の旅で友人を訪ねて(アテにして)行ったフィリピンもコロンビアもコスタリカも、実にぼんやりした訪問だった。

旅のおおまかなルート上にあるし、行ったことないから行ってみたいというような感じだ。

 

しかし友人たちがいたからこそ、わたしはこれらの国々にどこかで意識を置いていた。

「あの人のいる国だからきっとおもしろいはず」という思いがあった。

 

そしてやはりおもしろかった。

食べ物はおいしくて、いい博物館があって、友人がそこを去ったとしても再訪したいと思う。

 

退職と転職によりわたしの人間関係は大幅に縮小された。

残っているのは利害関係がなく、どちらが上かを張り合う必要のない友人だけになった。

世代も居住地も生き方もさまざまであり、頻繁に会うわけでも連絡するわけでもない。

 

海外にいる友人たちには今回の旅で何から何まで世話になり、そして日本の友人たちにもわれわれは支えられている。

 

いずれ日本に帰ったとき、旅の報告をしたい人たちがいる。

そのことにわたしは救われている。

 

 

(具がぷりぷりしていて食べ応えのある餃子だった。

ニンニクがアクセントになっていて、そういえば友人は大のニンニク好きだったと思い出してまたおかしくなった。

わたしも夫もニンニク中毒なのでありがたい限りだ)

 

(友人が案内してくれたレストランにて。

バナナの薄切りを潰して揚げた「パタコーネス」という料理。

豆のペーストに粉チーズがかかったものや、トマト、タマネギ、香草のマリネと一緒に食べる。

 

「果物はデザートだけでなくおかずにもなりうる」という事実は東南アジアで知ったが、コスタリカでもその真理は生きている。

こういう食べ方は大好き)

 

(グレーシアの広場に面したカフェで飲んだ、モラとミルクのスムージー、そしてミント入りレモネード。

「モラ」はブラックベリーであり、酸味とツブツブした食感がわたしのお気に入り。

 

レモネードはてっきりミントの葉っぱが数枚入ったものかと思いきや、たくさんのミントがガッツリ砕いて混ぜられている。

コスタリカの「ミント入り」は誇張ではなく本気だ。

ミントの清涼感がレモネードのほのかな甘さに加わってこれもまたおいしい)

 

 

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コスタリカのコーヒー

 

 

コスタリカ、首都サン・ホセ近くの町グレーシアに住む友人は、翌日もわれわれのために時間を割いてくれた。

 

まずは友人のなじみのカフェへと向かう。

ふかふかしたぬいぐるみのようなカフェの店主と、友人はすっかり顔馴染みだ。

スペイン語で会話している様子を見て、わたしはこのカフェが友人の貴重なくつろぎの場所なのだと知った。

 

このカフェでは忘れられない体験をした。

 

というのも、注文したコーヒーを飲み終えたあと店主はさまざまなコーヒーを持ってきて、次から次へと試飲させてくれたのだ。

 

その中にはおそらくかなりの高級品であろう「ゲイシャ」まであった。

ゲイシャは希少な豆の種類であり、華やかな香りと味が特徴だ。

 

われわれは

 

「えっいいの? いいの? 

このゲイシャたぶんすっごい高いよ?」

 

と小市民的に恐縮しながら飲んだ。

 

このカフェのゲイシャは梅の香りと味噌のような発酵感があり、「梅と味噌のコーヒーはうまいのか」という問いには「信じられないくらいうまい」としか言いようがない。

なぜかゲイシャにはダシのような旨味が感じられるのである。

 

カフェから近くの農園のコーヒーもまた忘れられない味で、はじめは酸味が際立っているが、落ち着くと黒糖のような甘味が出てきて2度おいしかった。

 

 

店主は淹れ方を豆に合わせて変え、都度われわれのテーブルまで器具を持ってきてくれる。

目の前でさまざまな淹れ方を見られるのは貴重な機会だ。

 

日本でハンドドリップを注文すると豆を選べる店はあるが、淹れ方はおまかせであることが多い。

インドネシアやタイなど、アジアの他の国でもそうだったと思う。

 

しかしラテンアメリカでは、ペルー、ボリビア、コロンビアでもそうだったが、「V60」「エアロプレス」「ケメックス」「フレンチプレス」など複数の方法から好みのものを選ぶというパターンが多い。

 

そしてコスタリカでは「オリガミ」まである。

オリガミとはまさしく折り紙を蛇腹に折ったような形状の、日本のドリッパーである。

 

抽出方法による味の差は同時に比べてみない限り区別のつかないわれわれであるが、澄んだブラックコーヒーが好きなわたしはV60やオリガミを好んでいる。

日本は豆の産地ではないのに器具の産地であるなあと思う。

 

それはさておきこのグレーシアのカフェでも各種器具を取りそろえていて、加えて店主はわれわれのために、コスタリカならではのものを持ってきてくれた。

 

見たことのない、口がフィルターのように大きく広がっている取手付きの陶器のポット。

側面には空気抜きの穴がついている。

 

それは「バンドーラ」と呼ばれ、比較的新しい淹れ方だという。

山間地で開発され保温性に優れているとか。

 

「シンプルでバランスのよい、コスタリカらしいコーヒー」という店主の言葉のとおり、バンドーラで淹れたコーヒーは素朴で飽きのこない味だった。

ペルーにも「ムペコ」という独自の器具があったが、コスタリカにもまた自然環境に合ったやり方が生まれているのである。

 

 

店主はまた生産地や製造方法など、コーヒー産業に関する話もしてくれた。

その中にはいい豆の多くが日本やヨーロッパ、アラブ諸国など海外に輸出され、現地にはあまりまわってこないという話もあった。

 

コーヒーの産地に共通する現象ではあるが、日本でコロンビアやコスタリカの豆を頻繁に飲んでいたわたしとしては、

 

「そうだよねえ、おいしいコスタリカのコーヒー、日本にあるもんね……」

 

とやや複雑な気持ちになった。

 

コーヒーについては世界各国で、その土地ならではの淹れ方や独自メニューなどを試してきたが、その歴史や流通についてはまた本を読んでみたい。

以前読んだ『コーヒーが廻り世界史が廻る』(臼井隆一郎、中公新書)という本も再読したくなった。

 

 

1週間分くらいのコーヒーを飲み、しかもすべてが良い豆を丁寧に淹れたものばかりだった。

 

これが真のホスピタリティである!

わたしはコスタリカで「オモテナシ」の真髄に出会ったような気がした。

 

別れ際に店主は「日本でコスタリカのコーヒーを飲んだら、このカフェのことを思い出して」と言ってくれた。

 

友人と夫とともにコスタリカのコーヒーを飲んだ、その至福の時間はこの先決して忘れまい。

 

 

後編に続く。

 

(「バンドーラ」)

 

 

(湯を注ぐと香りが広がる)

 

(コスタリカ、グレーシアのカフェ「Paula」のコーヒー)

 

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