こんにちは、はづかの夫です。
はづかは多分、毎年書いていたのではないかと思うので。
中越地震から、今日で19年です。
当時、私達は結婚直前。
この翌日に、はづかの家族が新潟に挨拶に来てくれる予定でした。
そんな中、のんきにパチスロ打ってたkage2002です。
新潟市でも震度4の揺れ。
『だいぶ揺れるなぁ』と思いながら打っていたところ、19時前に店を閉めるとの放送が。
『なんか中越が大変らしいですよ』と聞かされ、中越……えっ、はづかのところは???となり、慌てて店を出て携帯を鳴らすも、全く繋がらず。
急いで帰って、右耳に携帯、左耳に家電でかけ続け、ようやく繋がって。
大丈夫か?と聞いて最初にはづかが言った言葉が
『明日行けないかも―』
いやいやいやいや、そんな事考えなくても!……と思いますが、よくよく考えると、被災した人たちはテレビが見られませんよね。
被害状況がわからなかったんです。
我々はテレビで逐一情報が入ってきますが、現地ではほぼラジオのみ。映像で情報が入らないと、これだけ認識が違うものなのだと痛感したのでした。
とりあえずの無事が確認できたことに胸をなでおろし、ふと『あいつ、薬足りるのかな……』
当時から病を抱えていたはづか。飲み薬は大丈夫なのか、足りないとしたらどこかで調達できるのか……
しかしそこは何か持っていたはづか、震災の前日が通院日で、薬は大量に手元にあったのでした。
あの人、こういう時はことごとく運が良く、その後の人生でも助けられることになります。
まあ本人は『そんな運くれるくらいなら、丈夫な身体が欲しかった』とは常々言ってましたけどね。
震災で被害に会われた方に心からお見舞いと、亡くなられた方に哀悼を捧げます。
無事でいることがどれだけありがたいことか、毎年感じる今日の日です。
はづか 夫 kage2002