■水泳部で強健な肉体を持ち、性格も明るかった唯一無二の親友が、突然「自殺」という手段で自らの命を絶ってしまった

中学三年生と高校一年生の時に同じクラスメートで

高校の時は左後ろの席に1度席替えがあったのに、神の采配?物凄い確率=奇跡で同じ前後の席を過ごした、

水泳部に所属する友人がいました。


個人的に気に入られ、水泳部に入って欲しい、一度でも見学に来て欲しい、と懇願されましたが・・・

小学校の頃から、体育――とくに水泳(プール)の授業が苦手で、小学6年生の時にようやくなんとか25mプールを端から端まで

息継ぎのようなことをしながらクロールで泳げる・・・平泳ぎはどうやって足を掻けば良いかも、解剖学的によくわからない・・・

そんな水泳=大の苦手という意識のある人間だったので、彼の「水泳部に入って欲しい」という情熱よりも、

幼稚園の頃、水泳の習い事に通っていたのに、まともに泳げない・・・という僕の“水泳コンプレックス”が勝って、

一度も水泳部の練習に見学にさえ、行きませんでした。


後に高校2年生に上がる時のクラス替えで

彼とは別々のクラスになってしまい、5月の運動会に審判団に入り、ルールを覚えたり、ミーティングに参加したり・・・

また中間テストの勉強も準備が間に合わずに、「学校に行きたくない」という思いが試験当日に母に伝えても無視され、

通学のためのJRの満員電車にギリギリのタイミングで乗るか?乗らないか?という瀬戸際に「乗らない」というフレーズが頭の上に浮かび

電車を乗らずに、家に帰り・・・中間試験のテストをさぼってしまった!ということが契機となって―――

夏休み明けまで続く、不登校になってしまったという過去があります。


学校に行かずに、家で悶々と過ごしている時は、

高校1年生の時に「あんなに熱心に水泳部に勧誘してくれたのに・・・なぜ一度も、応えてあげなかったんだろう。」

「水泳部に入れば、肉体を鍛えることができるうえに、同級生や先輩・後輩との交流など・・・高校生の人間として必要な経験ができたのに・・・」

と自分自身の選んだ選択を後悔する、という時期がありました。


結局、僕は映画か?VHS?で見た「もののけ姫」のエンディングの

「アシタカとサン」をピアノで弾く練習をする!という音楽セラピー

~誰かにアドバイスされたのではなく、有り余る時間を使って自分の魂が本能的に欲した療法~

を通して、自分自身の魂とココロが癒された、という経験があります。

夏休み明けの2学期には「絶対に、学校に行きなさい!」という母の命令?通り、

学校の教室に早めに行き、席につき・・・久しぶりの自身の登校に・・・

「どんな言葉を掛けられるかな?」という不安なココロを押し殺して

ただ前を向いて視線は少し下にして、じっとチャイムが鳴って授業が始まるのを待っていた、という記憶をはっきりと覚えています。


その後、「〇〇ちゃ~ん(僕の下の名前)、学校に来てない間、どこ行ってたのかなぁ~?」と友達のような友達でないようなクラスメートに問われた際、

自分:「あ~、ちょっとね。自分の故郷(ふるさと)の星まで帰省してた。」

クラスメート:「えっ?マジ」「どこの惑星よ?」

自分:「プレアデス星団アトラス星!」

クラスメート:「・・・」

という会話をしたせいで、UFOに乗って宇宙人に連れ去られていた説が学年中?に広まっていった?!

というエピソードを最近になって再発見しました。


結局、高校2年生の秋になって・・・

大学受験のための塾に行かなければいけない~という雰囲気の中で

水泳部の彼と同じ塾を選びました。


彼は、東京大学薬学部志望でしたから・・・

(理系で生物・化学が得意だったんでしょうね。お母さまが薬剤師でもいらっしゃったからかもしれません。)

僕は、京都大学工学部建築学科志望だったので・・・


数学の授業と英語(英作文)の授業が同じで・・・

帰りもJR中央総武線の水道橋から同じ方向だったので、帰りに一緒になり電車内でよく話をしました。
(彼の親友Tくんと3人で)


それぞれ志望する大学に入学し、彼は東大で・・・私は京都で一人暮らしをながら、新たに同じ学部やサークルなどで友達を作り・・・

それでも夏休みなどに帰省する際は、必ず会っていました。


私は、2年半通学し、1年半休学し、4年経ったところで自分の意志で中退をしました。(家族に相談もしませんでした・・・)

一方、東大ならではのシステム=「進振り」という1~2年生まではリベラルアーツといって一般教養を幅広く学び、

3年生の時に自分の志望する学部に、1~2年生の時の成績などが良い人から入ることが出来る、というシステムを取っています。

彼は、薬学部志望で東京大学理科二類に入学したけれども、時間にゆとりのある大学生の時代に“文学”の世界にハマってしまったようで、

文学部への編入を志望するようになったようです。


そして、鍛え上げられた肉体を持っているにもかかわらず、

その魂は・・・自分がどういう将来を生きていくべきか?についての明るい展望を持てなくなってしまったようです。


結果的に一度、睡眠薬の大量摂取(いわゆるオーバードーズ)で自殺未遂をして、たまたまお母さまに発見されて・・・

救急隊が駆け付け、胃を洗浄する?・・・などの応急処置で一命を取り留めたようです。


そして、東大の5年生から6年生に上がる直前の3月下旬に・・・二度目のオーバードーズでこの世を去ってしまいました。


■「自殺」/「自死」すると・・・どうなるんだろう?という思い~想い

彼の葬儀が千葉のある教会で行われるということで

人生初の葬儀=親友のカトリック式の葬祭でした。


一年後には追悼ミサにも参列しました。

彼のお父さまやお母さまと少しお話させていただいたり、

彼の遺作である本(彼の書いた文学作品+両親や友人のコメント付き)を郵送で受け取り

読ませていただく中で、


彼は、お母さまが聖母マリアに「子供を授けてください」という祈りをしたら

(結婚して長らく子宝に恵まれなかったが)高齢にもかかわらず、祝福されて生まれた一人っ子である、ということ。


彼の死を通して、お父さまがキリスト教に目覚める!キッカケとなった。

ということを伺いました。


両親にとっては、キリスト教の親交を深めるために・・・転生してくれた高貴な魂であった・・・という印象を持ちました。


※たぶん、葬儀の時に配られたモノだと思うのですが、

1歳児くらいの幼子イエスを抱く聖母マリアの肖像画の裏に

「幸せな人、神の言葉を聞いて
   それを守る人。

ヨゼフ   〇(姓) 〇〇(名)

        一九八三年三月〇〇日 生
        二〇〇六年三月〇〇日 帰天」

と書かれた名刺サイズのカードがあります。

ヨゼフというのは、いわゆる洗礼名なのでしょうね。


当時、僕はサイキックチルドレンという・・・

あの世とこの世の境界/肉体と魂の境界を越えたところで

生きている=第三の眼を持つ脳障害児(2006年当時・7歳)Kくんのリハビリプログラムのボランティアに行っていたので

自分の親友が自殺で亡くなったことを相談しました。


彼は、ジョーク以外は真実しか口にしない、という高潔な人格であり、魂の持ち主と感じます。

自分の知りうる彼の死の真相について話した後、

Kくんは「お空の愛に溢れたところにいるよ~」という発言はせず、

彼の魂がいまどういう状態にあるのか?(自分が死んだことを自覚しているのか?)

僕にどのような言葉を掛ければ、僕にとってプラス(癒しや慰め)になるか?といったことを

必死にあの世=実相と繋がった彼の脳内で必死に情報検索している・・・

そんな印象を受けました。

結果、あまり多くを語らなかったような気がします。

僕の一縷の望みとしては、彼の高潔な魂だけがもつ法力で

彼がもし万が一、暗闇の世界に落ちてしまったなら、光の世界へ救い出してほしい!

そんな下心もあったのは、恥ずかしいですが、事実です。


彼よりも彼のお母さんNさんが掛けてくれた

「もっと前から(自ら命を絶つことを)わかってたんじゃないかなぁ~」という言葉は、記憶にあるのですが。。。


両親が葬儀のミサを行った教会では、

肉体を飛び出した彼の魂がキリスト教の儀式によって、イエスキリストに導かれ…すぐに天国に入った

という表現を突然の自死で悲しみのどん底にある両親に掛けたそうです。

(しかし、バーバラ・アン・ブレナンのように彼のアストラル体≒魂を視たわけではなく

 ただ共有するキリスト教の世界観の中で、精一杯掛けられうる善の言葉=安心させる表現をしたにすぎないのでは?と思っていました。)


僕は、この後・・・「天国を旅するスーザンからのメッセージ」という送信側も受信側も職業:弁護士という特異な霊界通信本に出会います。

その中の文章を読むことで、彼の魂というか潜在意識が置かれた状況というものを理解する大きな一助になりました。


ここに一番ユニークでオリジナルで素晴らしい示唆に富んだ6ペ-ジ分を転載します。

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第二部 死についての他の側面

第七章 自殺と安楽死

 自殺や幇助死についてはどうでしょう。ある意味で、すべての「死」は自殺であるとも言えます。私たちはそれぞれ死ぬことを選択するのですから。「死」は、たとえそう見えたとしても、不本意の行為ではありません。
 殺人であれ、死刑の執行であれ、事故であれ、戦争、疫病その他、どんな場合でも違いはありません。すべての死の日時、方法、場所は、実際の出来事が起こるよりもはるか以前に決定されていたのです。人生のすべての出来事は偶発的なもので、「死」も同じように偶発的に起こるはずだ、という集合意識的な人びとの思い込みからはそのように見えるだけなのです。
 人は、誰かが死んだり、死にかかっているという知らせを受けると、それを悲劇だと思うでしょう。しかし、「死」はいかなる事情であれ悲劇ではありません。それは常にひとつの「機会」なのです。私たちは「死」によって別の世界に移行できます。そこにはさらなる人生が続いていて、成長と学びの機会がたくさん待っているのです。
 皆さんはこう思うでしょう。
 「それならなぜ、もっとやさしい死に方を選ばないのですか?」
 私が伝えたいのもそこなのです。より優しい死を選ぼうではありませんか。
 私たちは、何ヵ月も何ヵ月も拷問を受けるように癌が肉体を蝕むのを見て、苦痛の中で生き延びるよりも、なぜ一発の銃弾を頭に撃ち込まないのでしょう?
 なぜ、殺人音が撃ち込んだ弾丸を頭から取り除く代わりに誰かに殴ってもらい、昏睡状態におちいる前に命を断たないのですか?
 なぜ、自動車の玉突き事故で押し潰されて死ぬ代わりに、獣医が犬にするように、安楽死できるよう注射を打ってもらわないのですか?
 なぜ、病院の集中治療室で刺すような痛みに耐えながら、心臓が再び始動するよう医者が皆さんの胸にパドルを当てて、身体に電気を通してもらう代わりに、戦場の地雷で自分を吹き飛ばさないのですか?
 バーン! 皆さんはあっという間に死んでいます。
 皆さんがどんな死を遂げようと、それは問題ではありません。それぞれの死には、長所もあれば、短所もあるのです。皆さんは、殺人の犠牲者に同情するかもしれません。「まあ、この人はこれから人生が花開こうとしている矢先に、他人のために命を縮められたんだわ」と。
 しかしその犠牲者は、死ぬことに数ヵ月かけて馴染むために、しばらくのあいだ病床で生きながらえることを望んでいたのでしょう。
 それでは、なぜ安楽死はいけないのでしょうか? 他の幇助死についてはどうでしょうか?
この本の読者である皆さんは、私が死ぬまでの数ヵ月間、惨めな状態から早く抜け出ることをどれほど懇願していたかご存知でしょう。
 私にできることは、せいぜいケボアキアン博士【訳注1】に電話するのを押しとどまることでした。もし彼が飛行機で飛んできて、惨めさから私を救い出してくれさえすれば……。もし彼が、そのときミシガンの法廷で、自己防衛のために忙殺されていなかったら……。私の終末を目撃した人たちは、私が苦しんでいるのを見ながら、私が幇助死や安楽死を心から望んでいることを知っています。
 でも今振り返って見ると、そうしなくてよかったと思っています。私の「意識」の一部は死ぬことを懇願しながら、大部分の「意識」は、癌にかかっているあいだいつも癌に歩調を合わせ、その期間をできるだけ引き伸ばすようにしていたのです。ただ、あまりに肉体の痛みがひどかったので、そのことを自覚できなかっただけです。私が自覚できたのは、肉体的な痛みだけでした。そして、なぜこんなに苦しむのか不思議だったのです。
 今になってみれば、その苦しみは、必要なものだったことがわかります。私は長く苦しい「死に方」を計画したのです。なぜなら、私がそのような「死に方」を望んでいたからです。
 痛みというものがどういうものなのか。痛みについて何もかも知りたかったのです。痛みが私の意識を奪い、焦点のすべてになって欲しかったのです。というのは、痛みの中で、私か到達しようと懸命に試みている新しい「意識レベル」がやってくるからです。痛みには、注意をひとつのことに集中するメカニズムがありました。あたかもふたりの武将が戦場で互いに対峙し、それぞれに決意が強く、一歩も引き下がろうとはしないときのように、私の集中力は研ぎ澄まされました。そして痛みに対面し、痛みとひとつになるにつれ、日増しに勇気がわいてきたのです。
 苦痛の極みと、歓喜の極みは、それほど違わないと聞いたことがあります。想像できる痛みの極みの体験をした私は、この意見が正しいと誓うことができます。
 つまり癌との闘病期間が、私に成長と悟りをもたらしたのです。苛酷な痛みと苦しみの果てに、私は、愛するとまではいかないにしても、それとひとつになり、抱擁し、敬意を払うことを覚えました。すでに私は強烈な経験をしていたので、この時点で私を動揺させるものはほとんどありませんでした。もちろん、死ぬことは恐ろしいことです。けれども、私は生き延びて、その痛みを乗り越えました。そしてそのお陰で「気づき」を成長させることができたのです。
 この章で私は、自殺や幇助死が、適切な死に方かどうかというところから話を始めました。また、痛みと苦しみの価値について長く書いてきたので、皆さんは、きっと私が殉教者の立場に立ち、自分の意思で自分を殺すべきではないと主張すると思うでしょう。
 でも、それは違います。もし教会が、「自殺は大罪だ。あなたは永遠に地獄の業火の中に投げ込まれるだろう」と言ってもそんなことは少しも気にすることはない、と断言します。
 私は、自殺によって人生で自分がかかわったすべてのことを完了しなかったことを後悔している人たちにも出会いました。彼らは、もう一度皆さんのところへ戻って別の人生を生き、やり残した仕事を完了したがっていました。
 逆に、自分の自殺を自己救出だと考えている人たちもいました。彼らは、人生の袋小路に入ってしまって、そこから逃れる術がわからなかったのです。その中でもがき続けることをやめ、彼らが本来進むべき道に復帰するために、自殺という手段をとったのです。
 そんなことをするべきではないと言う人もいます。「あなたが窮地を作ったのなら、その結果とともに生きるべきだ」と。このように非難する人たちは、たとえば「破産の申請」を法律が定めた「再生」という意昧にとらずに、個人の失敗によるただの不名誉と見なしている人と同じです。
 しかし、他人がどう言おうと、どう考えようとかまわないのです。教会、政府、隣人がどのように考えようとかまいません。大切なのは皆さん自身です。皆さんが何を信じるかです。皆さんの心の奥深くの静かなところ、皆さん自身だけが内部に到達できるところで発する、小さな声は何と言っていますか?――「よし、やろう」「いや、やめよう」「ちょっと明日まで様子を見れば」――皆さんの「内なる声」は真実を知っています。その導きを信頼してください。
 私が、耳を傾けたり信じたりすることを学べたのは、私にささやきかけるこの「内なる小さな声」のおかげでした。この内なる小さな声が、明日、何か起こるかを静観するように言ったのです。明日に、明日に、そして明日に。私は、毎日を、一日ずつを生きることを学びました。
 ある日、目を覚ますと、痛みはなくなっていました。
 そして全能の神の光の中で私は浴し、愛と思いやりの癒しが痛みの記憶を洗い流しました。そしてそれは、かつてどんな気ままな夢でも想像できなかったエクスタシーに変わっていました。そのとき、自殺であろうと幇助死であろうと、はたまた安楽死であろうと――皆さんが好きなように呼んでください-その問題は、事実上、意味を持たないのです。


【訳注】
〔1〕ケボアキアン博士 末期患者の自殺を幇助している退職医師。彼とその患者は安楽死を法的に認めるべきだと主張している。彼は何回も殺人容疑で裁判にかけられるがその都度無罪となる。最近いくつかの州で末期患者の安楽死を認可する州もでてきた。


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■自分の中の「自殺」=「自死」観

彼は、大学の頃から所謂“うつ病”の症状を呈し始めたようですが、

僕は、高校生の頃からその気がありました。


僕は、その頃から・・・近所や学校近くの図書館をはじめ、本屋では立ち読みをして

はじめは、心理学の本などから自分自身を癒すためにいはどうすればいいか?という実益を追求するために・・・

後にはそれが“霊的な世界”に対する探究というものに変化していきました。


霊的な世界についての情報があるが故に、安易に自殺するという選択肢を考えたり、具体的に企図することすら、ありませんでした。

しかし、この世から去って霊的な源泉=あの世に帰りたい!という・・・

いわゆる「自殺願望」ではない・・・「帰郷心」のあの世バージョンという思いを常に持っていたようですし、

母も「20代の頃から“早くあの世に行きたい”と言っていたねぇ~」と回顧するくらい、

肉体を去った魂の世界=「あの世」に対して「帰郷心」を抱く青年でした。



「オーラの泉」という美輪明宏氏と江原啓之氏がゲストのオーラの色とその意味、守護霊や前世について霊視したり、

人生のアドバイスを授けたりする番組が一時ブームになりました。


美輪明宏氏の影響で

“自殺しても意味がない。死んでも人は生まれ変わる。今世で悩み苦しみに耐えきれなくて自殺した人は、

また生まれ変わって同じような悩み苦しみを味あわされることになる。次は自殺しない!という選択を魂がするために・・・”

という教えを受けていたので、安易に自殺することは“決してしてなはならいことだ!”という意識がありました。


この美輪明宏氏のメッセージは、霊的世界を肯定していても・・・

安易に自分の意志で“生と死の境界を越えてはならない!”という重要な教訓/レッスンを含んでいると思います。


■誰もが一度は考える・・・「人は死んだらどうなるか?」というシンプルな疑問

死後の世界に対する探究は、高校生の頃から始まり・・・30代になっても続きます。

「死後の世界について」 - April 17, 2021

というタイトルのブログ記事も書いています。

http://blog.livedoor.jp/hado_technology/archives/52007725.html


僕が高校生の頃から尊敬し、敬愛していた「バーバラ・アン・ブレナン」女史が

新著「コアライトヒーリング」下巻で、第11章~第12章と二章分に渡って

「低次アストラル界」について解説しているのには、驚かされました。


上記の過去ブログ記事の中にも
「バーバラ・ブレナンは、アストラル界やHEFの観点から、自殺は不毛である、と痛烈に語っています。これも霊界の真実でしょう。」

と記しましたが、

「自殺」/「自死」で亡くなった彼も、低次アストラル界を通ったのでしょうか?



「ジュリアの音信」という霊界通信にも、

・・・自殺した魂は他者の生命と同じく大切な「自分の生命」を殺した罪というものを負わなければならない。

霊界では、暗い箱のようなところに閉じ込められる…という苦しみを味あわされる。・・・

といった表現を読んだことがあります。



「地獄なんてないさ♪死んだらみんな天国に行くんだ!」というのは、

明るく陽気な発想ですが、

“地獄の存在を信じること”の教育的有用性

=この世にある社会的悪(殺人、強盗、暴行、詐欺、横領、・・・etc.)を少なくすること

に貢献しないでしょうか?


そもそも、“魂の存在=死後の意識の継続性/輪廻転生のシステム”を

「信じる/信じない」というレベルではなく、“宗教”という機構や枠組みにお任せするのではなく、

「哲学」「倫理」の授業の一環として・・・

前世退行療法(催眠で前世に関するトラウマを癒す手法)や幼児の胎内記憶~前世紀億に関する調査・研究を紹介したり、

霊界通信に関する本を何冊か読んで、その共通項や違いについて議論したり考察したりするとか、

臨死体験の研究に関する本を読んだり、ロバート・モンローなどの幽体離脱に関する研究に触れたり(日本では木内鶴彦さんが著名)、

沢山の人々の死と隣り合わせの救急医療現場での医師の証言に触れたり(東大病院に勤める矢作直樹さん)、

眠れる予言者、エドガー・ケイシーのライフリーディングに関する著作に触れたり、

ヨーロッパのスピリチュアリズムに関する著作に触れたり、

精神分析の大御所、C・G・ユングも晩年、注目した「チベット死者の書」に触れたり、・・・etc...

教育業界として出来ることはたくさんあるのではないでしょうか?


“あの世”に関する情報に触れることで

人生をより良い方向に変えることが出来る!


それは、ひとつには・・・犯罪・詐欺・汚職など、悪の道を歩まないようにする・・・ということであり、

ふたつめには、自分の人生=現在置かれている状況、環境をありのままに受け入れ、どんな状況も変化=好転するという“希望”を持ち、

何歳になっても人生は自分の意志と選択で変えていくことが出来るのだ、という人生のエールを送ることに繋がるのではないか?と思います。


そのような意義があると確信しています。


■23歳の誕生日3日前に自死した“彼”の世界

このブログ記事を書いているときに

彼が残した文章(中学~高校の文集や小説家を目指していた大学時代に残した遺稿を遺族の両親がまとめた著書)を直接読む機会がありました。

その中で発見というか、再確認したのは・・・

彼の内面に大きく影響を与えた存在のひとつが「尾崎豊」さんだったということです。

彼がカラオケで尾崎豊の歌を好きで歌うのを聴いたことは1回だけだったような気がしますが。

ただ歌が好きというレベルを超えて、雑誌記事や著書などを通して「尾崎豊」という存在が発しているコトバ~メッセージに傾倒していた、というのは・・・

紛れもない事実だったと、いうことが一友人としてはっきりと証言できます。


そして、尾崎豊さんも26歳の若さで大量の覚醒剤服用(オーバードース)で亡くなっているという事実。

他に、いわゆる「人生のモデル」となる人物が辿った道を、結果的には同じように辿ってしまった・・・という

なんとも表現しがたい・・・悲劇的な運命という風に言えると思うし。


小さい頃からカトリック教会に通い、西洋的=キリスト教的な世界観の中で育ったようですから、

「魂の生まれ変わり」という概念というものが欠落しているなぁ~という思いもあります。


いずれにせよ、『死後の世界』に関する情報の欠如が・・・彼の死を招いたのでは?という発見がこの年になって生まれました。

死後の世界について・・・何度も繰り返し、その実態についての記述を読む耽ることの重要性を説く文章が霊界通信にありますが、

人間の死亡率は100%ですから(笑)・・・誰でもいつかは扉を開けることになる「天国のドア」

あるいは「地獄のドア???」のその先にどのような世界が待っているか?ということについて

知ることは、“これ以上ない”『重要な知識』と言えるのではないでしょうか???