※この記事は、mixiにおいて2007年1月17日にマイミク限定で公開していた日記を再編したものです。

 

「人間の無意識の行動って…」

 

たまに、インド占星術のサイトをチェックしに行っています。
http://www.nifty.com/jyotish/
(一番下にある無料診断のところ・・・)

毎月・毎日の“流れ”のようなものが、診断結果として出てきます。

人間の無意識の行動って…
(なんとなくやろうと思ってたり、過去を振り返って点検すると)

惑星の影響を受けているのだなぁ―――と実感します!


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それでは---この星の影響を逆手にとって、

人生を楽しいモノにしていくには……


という方法論が、インド占星術にはあるのが面白いです。


宝石を身に着けたり(ジョーティッシュ)、
 ↑「あるヨギの自叙伝」の中で聖者が勧めてたりしてます。
  個人的には、そのことにとても驚きました。

9つの惑星にお願い/祈りを捧げる儀式をしたり・・・
 ↑インド・ワンネスUniv.でも「ホーマ」の中でやってました


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ただ、「カルマ=行為の結果」という宇宙法則が前提のようです。

細木数子の先生(かつ元夫)であった「安岡正篤」
~『平成』という元号を考案し、戦後政財界の精神的指導者だった御方~
なんかも「積善改過」というのが基本のようです。



ただ、いわゆる「カルマの法則」というものも―――
          少し考え物かな・・・とも思います。



「形式的な美徳」という行為にも“魂”が入っていなければ、

虚しいものです。



そして、「善悪」の概念を強め――自分を…それ以上に他人を“裁く”という内面の動き

…誰の心にもある内なる裁判官…を強めることに貢献してしまう傾向は否めません。



「受けとる=プラス/与える=マイナス」という概念こそ

矮小化した意識/自我の産物かも知れません。


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個人的に……かなり小さい頃から~とくに青年期には……

自分自身の無意識の中で“(いわゆる)カルマ/業”に対して

非常に意識して来ました(カルマという言葉を本で読む前からすらです)


そして、いろいろな探究の中で……これは!……

と個人的に感動した文献もありました。



『ハトホルの書』
・・・「行為の結果を刈り取らねばならない」という宇宙法則は存在する。
   そして、行為の結果はエネルギー次元に存在している。
   しかし、必ず不幸や不運を経験しなければならない…という宿命的なものはない。
   人生のトラブル/苦痛を経ずに“より精妙な形で”それを変容させることが出来る。


『輪廻する歴史』
・・・「“過去に理由があるのではなく、未来に理由がある”という考え方(時間の逆行)、“過去のカルマ・現在のカルマ・未来のカルマ”(時間の同時進行)という考え方」


『カルマリリーシング』CD(ドリーン・バーチュー)
・・・「“カルマとは?”というテーマで、詳しくかつ優しく解説してくれています。ヒマラヤ聖者が言われている“人間の実相”という視点と完全に一致しており、非常に驚きました。※このCDとの出会いそのものが、個人的には大大大感動でした!素晴らしいです。」

※「カルマ」という宗教的概念は、「罪悪感」と「罪の償い」を生じさせるものです。これは、ある時代/ある人々・・・最近でも殺人事件が起こっていますが・・・そのような状況には「罪と罰」という道徳が有効なのでしょう。
 しかし、そのような基本(人を殺めないetc.)は前提として・・・スピリチュアルな意味合いでは……なにか、そのー(なんと表現していいのか難しいのですが)そのような思考を基盤としたままでは、“ある壁”を突破できないように思うのです。

つまり、動物は自分の仲間を殺すことはありません(生き延びるために獲物を狙うことはあっても)。

それは、人間も同じ。赤ちゃんを見れば、わかります。

そういった意味で・・・
いわゆる「道徳感に執着する/強制する」ことは、人間の体内に眠っている“叡智”に対する「不信」という態度が前提になっているものなのではないでしょうか?

老子の言葉に、大道廃れて仁義あり、悪い世の中になっているから法律がたくさん出来ると。

いわゆる宗教のネガティブな側面には、「罪(キリスト教)/業(仏教)」という概念および「罪悪感/嫌悪感」という感情の固定化があるように思うのです。

ヒマラヤ聖者の説く「神とは?」「人間とは?」というレクチャーは、そのような常識的概念を超えた・・・卓越し洗練されたものであると・・・僕は感じています。だからこそ、私の心に響き、強く心惹かれました。

※以下―――少し長くなってしまいました。
      なにか、とても潜在意識に“強い思い”があったようです。
      この日記を書くこと自体が、とても解放になりました。(笑)




「カルマの“本質”とは?」「カルマの解消法とは?」ということに関心がある、というか無意識の中に強くあった“僕”は……“僕の人生”って一体何なんだろう?!……と自分でも思います。

でも、これも未来に理由があるのでしょうか(笑)


いま、スピリチュアルや占い(細木先生)なんかがブームです!


人生をより良いものにしたい、よりよい運命/人生を歩みたいという人間の想いは、時代や場所を越えて永遠不変のものなのかも知れません。


そういったことをテーマにする上で・・・この“カルマ”と呼ばれてきた「原因と結果という宇宙法則」あるいは「ある種のエネルギー」とその解消方法というものは・・・鍵/キーとなるものだと思うのです。

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なんか…当初予定していたより、大分長くなってしまいましたが。

たまには、このようなシリアスな内容のものも良いかな♪とも思います。

お陰で心の中が整理され、スッキリしましたので…(笑)


感謝

 

 

【41歳の自分の付記】

 

このmixi日記では触れていませんが、「カルマ」の本質について具体的な例を挙げて

学ばせていただいた教材は、眠れる予言者エドガー・ケイシーの著作のひとつ

「転生の秘密」という名著です。

 

10年以上前に読んだ時の朧げな記憶をつらつらと思い出しながら記すと、

確かケイシーの下に先天性の身体障害を抱えた男性がなぜ自分はこのような(障害を持った)肉体に転生したのか?

という問いに対して

 

とある過去生において・・・それは確か古代ローマ時代のコロッセオ(世界遺産として有名なアレです!)に出入りする

健康な肉体を持った青年だった。そこで戦闘か何かで脚や腕を失った(いわゆる)後天的な身体障害の人に対して

「蔑む(サゲスム)」ような視線を送ったそうです。

 

このことがカルマの種子となったのである。とケイシー(とその背後にいる霊団)は自信をもって語ります。

いわゆる「善い行いをすれば善い結果が来る。悪い行いをすれば悪い結果が来る。」といった勧善懲悪のカルマ論ではありません。

他人のある特徴について「蔑んだ(サゲスンダ)」という“内面の行い”についても、カルマの法則が適用される!とケイシーは言うのです。

というか、カルマの法則の中でも最も肝要な点は、外側の行動よりも内面において「どのようなプロセスを経てその行為・行動を行うに至ったか?」という本人の良心というか、魂というか、それと神様(内なる神様?外なる神様?)しか知らない、知る由もない・・・そのような内面の『動機』こそがカルマの法則の適用条件になるそうです。

(地球上の裁判所では、外側の「行為」「行動」とそれを証言する人または(最近では)監視カメラやスマホの映像などの物的証拠からしか、その人の背負うべき『罪』を計り、裁定することしかできませんが…)

日本人的な宗教観でいうと、いわゆる「閻魔大王」による人生裁判?キリスト教的には人生の最終地点=最後の審判?と表現すればよいのでしょか?

いわゆる「宇宙法廷」では、宇宙図書館=アカシックレコードに記憶されている本人の脳神経細胞回路において

どのような思考あるいは感情(感覚)を経て最終的な「(内面の)選択」がなされたのか?という本人の魂と宇宙図書館にアクセスできることが可能なマスター(賢聖)しか入手出来ない完全プライベートな秘匿情報によって判断が下されるというのです。

 

そしてケイシー―は障害を抱えて生まれた相談者に語り続けます。

「今世においてあなたが障害を持って転生しようとしたのは、古代ローマ時代において蒔いたこの『カルマの種子』を

自分自身が身体の障害を持って生まれるという一生を捧げる行為によって、蔑みの視線を送られた相手の魂の立場や悲しみ・惨めさを味わい体験しよう、という『愛の意志』によって成就するという魂の“勇気ある”試みなのである。」

「つまり、カルマの法則=『いわゆる蒔いた種は刈り取らねばならない』という宇宙法則は、絶対に従わなければならない物理法則のようなものではなく、魂の自主的・自発的な“愛”の法則なのである。」

「いわゆる神が絶対的な立場から強権的に個人の魂に『来世はこのような人生を歩みなさい』と命令をして、転生をする魂側が嫌々それに同意し人生を歩むということは絶対にありえない。個人の魂の自由と選択を重んじるというのが宇宙の法則なのである。そのことを忘れてはならない。」

 

そのようなことが書かれていたような、あるいは自分自身の中でそのように感じ取ったのか?

オボロゲデ申し訳ありませんが、「カルマの法則」「カルマの解消」というフレーズを聞いたことがあるスピリチュアルなことに関心のある方にとっては有意義なブログになったかなぁ、と自負しています。