ここ数日、宇宙の虚無さに対して寂寞たる思いを強く抱いた時期がありました。
歌としては、荒井由実の「朝陽の中で微笑んで」という曲が、この寂寞たる思いに拍車をかけました。
一節をご紹介します。
♪薔薇の色さえ うつろわす 時の流れが とてもこわい
宇宙の片隅で めぐり逢えた喜びは うたかたでも 身をやつすの
(1番)
♪カード一枚 ひくように 決まるさだめが とてもこわい
宇宙の片隅で つぶやき合う永遠は 幻だと知っていても
(2番)
特に2番の「宇宙の片隅でつぶやく永遠は幻」というパワーフレーズが
ズーンと魂に深く響いていました。
ところが、AppleMusicでいろいろな曲を聴いている中で、「救い」となるような歌に巡り会えたのです。
それは、中孝介さんの「花」です。
♪花のように 花のように ただそこに咲くだけで 美しくあれ
このフレーズで、生きることの意味を取り戻し、襲っていた虚無感から脱出することに成功しました。
光さえも飲み込み脱出が不可能なブラックホールから、超光速のロケットが発射し宇宙に漂い出たような感じです。
私には、4~9歳の3人の甥/姪がいますが、彼らを見ていても愛すべき花のように凛と咲いているのを「見」ることができます。
一方で今年92歳になる1年半前に施設に入った祖母もいます。彼女もまた、大輪の花を咲かせています。
宮沢賢治に関するNHKの特集番組で、「銀河鉄道の夜」という作品に宇宙をどこへでも遊行できるジョバンニの切符として「謎の十文字」というのがあるのですが、その番組ではそれが妙法蓮華経のサンスクリット表記「サッダルマプンダリーカスートラ」ではないかと解説されていました。この「サッダルマプンダリーカスートラ」というのは、泥の中から汚れのない綺麗な花を咲かせる“白蓮華”のような正しい教えという意味だそうです。
父や母などの身近な家族、職場の人々、TVに出てくるタレントさんたちを見ていても、皆それぞれにオンリーワンの色・香りを放つ花を咲かせています。
SMAPの「世界にひとつだけの花」という歌が一時期流行りましたが、本当にその通りです。
先に抱えていた寂寞たる思いは、宇宙の虚しさ=「空」を実感した反応ではないか?と思います。決して、単なる虚無感ではないのです。
確かに宇宙の真実に迫っている感じがありました。
一方で全ての人に花を見る思い(=愛?)というのは、「空」の反対の「色」そのものではないかと思います。
人間は、TVを見たり音楽を聴いたり、人と話したりなど、何かを「為さなければ」生きていけない生き物です。
この(「寝る」以外の)行為の世界というのは、仏教で言う「色」の世界ではないでしょうか?
「陰極まれば陽となる」という言葉がありますが、宇宙そして人間の「空」をいつも以上に体感した後に偶然にして人間の持つ「色」の素晴らしさに目醒めるという体験をすることができました。
そんなことを考えてしまいました。