20世紀最大の哲学者といわれるドイツのハイデガーは、晩年の日記で
「もし十年前に歎異抄を読んだら、自分はギリシャ語・ラテン語の勉強もしなかった。
日本語を学び聖者の話を聞いて、世界中に広めることを生きがいにしたであろう」
と遺しているそうです。
三木清という日本三大哲学者の一人は、
「万巻の書の中からたった一冊を選ぶとしたら歎異抄をとる」と言いました。
同じく日本三大哲学者のひとりである西田幾太郎は第二次世界大戦末期、空襲の火災を前に
「一切の書物を消失しても、歎異抄が残れば我慢できる」と言い放ちました。
作家の司馬遼太郎も、「無人島に1冊の本を持っていくとしたら歎異抄だ」と言ったそうです。
このように仏教学者のみならず、作家や哲学者、思想家に至るまで、歎異抄の魅力にとりつかれていった様です。
その歎異抄(親鸞上人の教え)によれば、わたしたちにはわたしたちをあらゆる苦悩から救ってくださる、救おうとしてくださっている仏=阿弥陀如来、阿弥陀様がいらっしゃるということである。
まず、この世で無常の生きている喜びに目覚めさせ、あの世では極楽浄土に生まれ変わらせることで2度私たちを救ってくれるという。
この世で目覚めさせるべき生きる喜びとは、死後に極楽浄土に行くことができるという確信(悟り)とつながっているという。
極楽浄土とは、いかなる場所か?
この世には、衣食住というものがあるが、
極楽浄土では、すべてのモノが金銀宝石で出来ているという。
すなわち、住むところしかり。
衣は、着るに心地よいなめらかな素材(この世で言うシルク/絹か?)で出来ている。
そもそも、気候が穏やかで暑くもなく寒くもなくちょうど良い気温で、涼しい心地よい風が吹き付けているという。
食べるものは、美味しく、無料(タダ)で意のままに運ばれてくるという。
どんなに食べても、小便や大便などの汚物は体から出ることはないであろう。
匂いもこの世のどんな香水よりも繊細で崇高な香りがどこからともなく至るところに立ち込めているという。
樹木や花々もあり、鳥もいて、色とりどりの鮮やかさで見る人の心を和ませてくれているという。
そして、池には清らかで澄明な水が湧き出ていて、飲むと何とも言えぬ高貴な味がするという。
天上からは、この世のどの音楽とも似つかない素晴らしい音色がどこからともなく流れてきて私たちの心を澄み渡らせてくれるという。
昨晩はテレビでテルマエロマエⅡの映画が放送されていましたが、極楽浄土にも温泉や銭湯などがあるのでしょうね。マッサージチェアやスパのようなものもある事でしょう。この世の風呂やマッサージですら、心地良く気持ちが良いものなのですから、極楽浄土ではそれ以上の楽が用意されているはずです。
考えられうる至高の「楽」に満ち溢れている場所、それが極楽浄土である。
阿弥陀経には、この極楽浄土の様子が事細かに描かれていて、そこに生まれたいと欲すること=菩提発起心が大切であるという。
しかし、上記のような描写もあくまでもお釈迦様がわたしたちが見たり聞いたり体験したり、想像できる範囲内の楽しみを挙げて、極楽浄土の素晴らしさを知らせようとなされているようです。
そのため「猫の参るお浄土は、宮殿楼閣みなカツオ、ネコも呆れて、ニャムアミダブツ」という言葉があるそうです。
臨死体験で語られる「光の世界」(仏教的には「無量光明土」というらしい)といっても良いでしょう。
いずれにしても、このような知識こそがこの世(此岸)からあの世(彼岸)まで三途の川と渡る際の「光明」そのものなのではないでしょうか?
【付記】この記事を投稿して、デスクトップの日時を見たら2023/02/19とありました。確か2月19日は…と思って調べたら、やはり昨年10月3日に逝去された故・バーバラ・アン・ブレナン博士の84年目の生誕日でした。無意識(の行動)だったので、少し驚きました。