私は、もう十年~二十年以上も前の話にはなりますが、中学受験をして開成中学に合格し、世間的には東大に云十年と合格者を送り込んでいる名門の中高一貫校で青春を過ごし、大学受験では現役で京都大学工学部建築学科に入学したという自分で言うのも変ですが、華々しいキャリア(学歴)があります。過去の事実といってももう既に過去の栄光なので、自分のことというよりは客観的に見て珍しい特異な環境を与えられ、その中で育ってきた存在として、自分の内面で経てきたことをここにありのままに書き記そうと思います。
一般に「受験」というと、競争社会というイメージがありますが、人と競って成績で一位を取りたいとか、どうしてもこの学校に入りたい・トップの学校に行きたい、といった競争意識やブランド意識というものは全くありませんでした。当時、通っていた小学校は、そのまま公立の中学校に行くと男子は皆、坊主頭にしなければならない…という背景があり、坊主になるのが嫌で受験勉強を始めたという時代背景/そもそもの個人的動機(きっかけ)があります。始め通っていた近所の塾で毎週あるテストで系列の塾の中でトップの成績になった時も、若い塾講師の先生から「〇〇(私の本名)は、スターだからな」と言われたときは正直嬉しかったですが、自分から1位になりたいからなったのではなく…自分なりにベストを尽くして与えられたテキストや問題をこなして結果的に1位になり、その先生からはスターと思われるようになったというのが事実です。
小学生の5年生から6年生までの大手の塾の支部があった津田沼まで総武線に乗って通っていた頃が特に楽しかったです。学校を早く切り上げて、母親が作ってくれた保温性の高い大きな瓶に入った3~4段くらいのお弁当を持って、始業時刻よりも1~2時間早く教室に行って友達と普段は先生が使っている黒板でテトリスの様なゲームをしたり、定規をペンで弾いて飛ばす「ジョー戦」をしたり、そういうアナログの遊びをするのがとても楽しかった、という思い出が今も胸に残っています。先生に褒められると塾のロゴマークが入ったクリアファイルをプレゼントしてくれたりして、それを卒業まで20~30枚近く集めました。一般には、勉強=つまらない、将来のため?親のため?仕方なく我慢してするもの、反対に(テレビゲームやゲームボーイなどの)ゲームは、親に何時間もやるなと言われ、でも楽しくて長時間やってしまう、という印象が当時でも今でも多くの人が持つイメージかもしれません。ところが、ゲームを攻略してステージをクリアしていったりポイントを貯めていく喜びと、毎週与えられた教科書の部分の知識を吸収したり、計算や問題の解き方をマスターしていき、週に1度日曜日にある週間テストで良いポイントをはじき出すために勉強し(正式な採点を待ちきれずに)テストの直後に自身で採点をし国語は何点、算数は何点、理科は何点、社会は何点、合計何点と点数を付ける喜び、良い点数をはじき出した時の達成感と爽快感、これらがどう違うのか?当時の私には全くわかりませんでした。逆に、視力が弱くメガネをつけていたため、テレビゲームやゲームボーイをするのがあまり楽しくないという(社会の平均からしたら)変わった体質の持ち主でした。結果的に、勉強するのが楽しくて楽しくて、その結果、開成を受験し合格するという経験を踏むことになるのですが、志望校を選ぶときも、6年生の夏休み明けくらいに母が津田沼の塾の講師陣に進路相談行った際に、母は「早稲田か、慶応くらいに行ければと思っているのですが」と話したところ「○○(私の本名)くんはもっと上を目指せますよ。開成などどうですか?」と返され、びっくりして帰ってきたというのが事実で自分が好きな尊敬する先生達が勧めてくれたならそうしようということで、開成を目指すようになりました。開成に入学して「やはりそうか」と再確認したことですが、このレベルになると“将来のため、親のために嫌々勉強している”というタイプの人はほとんど見受けられませんでした。みな勉強することの楽しさを知っている、かと言ってガリガリと机にかじりつくタイプというわけでもなく、スマートに要領よく勉強してきたというタイプの人が多いように見受けられました。
中学受験や高校受験をこれから経験する若い人たちに、何か伝えられるメッセージとしては…ありふれた陳腐な言葉ですが、人と比べたりするよりも「自分のベスト」を尽くしていくこと、そしてその努力の結果はどんな結果でも受け入れるということではないでしょうか?
開成に合格する前に、1月中旬の千葉県の入試で東邦大東邦と渋谷幕張の2校も合格していましたが、渋谷幕張に合格したときは、最も仲の良かった友達が渋幕を第一志望にしていたこともあり、「ああ、もし開成がダメでも、渋幕に行けば、中学高校も友達の△△くんと一緒に学校生活が送れるなぁ~」と考えていました。開成の合格発表は、学校の校舎内に掲示される受験番号の結果を母と見に行きました。私には記憶がないのですが、最寄りの西日暮里の駅から学校の校舎までの途中で、不合格で母親に泣きついている子がいて「もしこの子が不合格だったら自分も同じような思いをするのだろうか」とその子を見て思ったと後日、母から話を聞きました。結果的に合格しましたが、不合格でも全く動じず、その結果を受け入れてたと思います。かといって合格しても、合格したことを知ったテレビクルーのカメラマンにインタビューを求められても、「こういうときは浮かれてインタビューに答えるものではない」と一蹴しました。「どうして?答えてあげればいいのに」と母は私のそっけない素振りを見て言いましたが、合格した本人より母や塾の先生などの方が喜んだ、という側面はあったかもしれません。
大学受験の方については、過去の記事で大学生になる直前の高校生の私が当時通っていた塾のために記した合格体験記を転記したものがありますのでそちらを参照下さい。(勉強や学習に対する基本的なスタンスは中学受験でも大学受験でも変わっていません。)
→ 勉強~モトオーイ!「私的学習術」