知的好奇心は刺激されたけれど、心の震えはどこに?
NHKドラマ10『舟を編む〜私、辞書つくります〜』。
先週放送された第1話が予想をはるかに超える良作だったこともあり、第2話には自然と大きな期待を寄せていました。
そして今回の第2話。
結論から言えば、期待に応えるだけの作品ではありました。
しかし、いくつか感じたこともありましたので、ここに記しておきたいと思います。
感情は理屈じゃない――説明しすぎることの危うさ
人が感情を動かされる瞬間というのは、本来、理屈ではないと思うんです。
言葉にしようとする前に涙が出たり、怒りが湧いたり、胸が詰まったり。
そういう時に、説明はむしろ邪魔になることすらある。
第1話には、そうした「説明抜きで心が動く」瞬間がいくつもありました。
たとえば、みどり(池田エライザ)が海辺に立って泣いているシーン。
恋人の昇平(鈴木伸之)が出て行った後の喪失感。
そこに余計な言葉はいらなかった。
ただ、映像と表情だけで十分に伝わるものがありました。

しかし第2話では、感情の動きよりも「言葉の説明」や「知識の提供」に比重が寄りすぎているように感じました。
たとえば「恋愛」の語釈に関するエピソードも、語釈というテーマが先にあり、そこに感情を寄せていった印象を受けてしまいました。
言葉の面白さを語るのはこのドラマの醍醐味の一つではありますが、感情の場面にまで説明が重なってしまうと、ストレートに感情を受けとれなくなってしまうのです。
知的好奇心は満たされた
一方で、辞書作りの奥深さに関する描写は、相変わらず素晴らしかったです。
・辞書のサイズ(小型・中型・大型)の定義
・製紙会社・あけぼの製紙の宮本が取り組む「大渡海」専用の紙作り
・「あきらめる」という言葉の深堀り(奇遇にも同日放送された「天久鷹央の推理カルテ」の最終回でも「あきらめる」の話題が出た!)
・「恋愛」の語釈をめぐる意見のやり取り(ウサギの定義を例にするところ面白かった!)

こういった要素はまさに、知的好奇心を存分に刺激してくれるものでした。
感情と知性のバランスが問われる
第1話では、「感情に訴える場面」と「言葉に対する知的好奇心をくすぐる場面」とのバランスが見事にとれていました。
しかし第2話では、説明がやや多すぎた印象です。
感情の動きが説明に埋もれてしまい、視聴者が自然に感情を動かされる瞬間が少なかったのは残念でした。
ドラマとして成立させるには、知識と感情の間にある「余白」がとても大事だと思うんです。
その余白があるからこそ、視聴者は自分の体験や気持ちを重ね合わせることができる。
このまま“辞書についてのレクチャードラマ”になってしまわないよう、次回以降に期待したいです。

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