先日、YouTubeで貴重な映像を目にしました。
1972年第3回日本歌謡大賞の授賞式で、小柳ルミ子さんが「瀬戸の花嫁」で受賞されたときのシーンです。

会場で名前が呼ばれた小柳さんは、母親の隣に座っており、その場でまず「瀬戸の花嫁」の1番を歌います

 


 

そして、歌い終えるとゆっくりとステージに移動し、今度はメインステージで2番を歌っていく。
そのメインステージには、彼女を待っている人たちがいました。

それは、この楽曲を生み出した3人の作家たち――
作詞山上路夫先生、作曲平尾昌晃先生、編曲森岡賢一郎先生です。
いずれも当時から音楽界の重鎮であり、その3人がステージ上で彼女を見守っていたのです。

小柳さんは、ステージに上がったとき、この3人の姿を見て感極まり、涙がこみあげてきてしまいます
歌い出そうとするものの、言葉にならない。そんな彼女を支えるように、平尾先生がそっと一緒に歌い始めるのです。

平尾先生はご自身も歌手として活躍されていた方ですから、自然とマイクを取って支える姿はとても温かいものでした。
驚いたのはそれだけではありません。山上先生も、森岡先生も、なんと一緒に歌い始めたのです。

 

(左から)森岡賢一郎先生、平尾昌晃先生、山上路夫先生

しかも、歌っていたのは1番ではなく、2番の歌詞
一般的には馴染みの薄いパートですが、3人とも迷いなく、口を揃えて歌っていました

もしかしたら、ステージ下にカンペのようなものがあったのかもしれません。
しかし、彼らの歌う姿からはカンペを「読んでいる」という印象は微塵も感じられませんでした。
視線も自然で、歌声も心から湧き出るように響いていたのです。

仮にカンペを見ながら歌っていたとしたら、私はこのブログを書こうと思わなかったかもしれません。
しかし、そうではなかった。だからこそ、強く心に残ったのです。

「瀬戸の花嫁」を作った3人が、その曲を心から愛し、覚え、誇りを持っていたことが、その数分のシーンから伝わってきました。
作詞、作曲、編曲――それぞれの立場は違っても、3人が一緒に1曲を育て、そしてそれを大切にしていること。
これは、当時の作家陣がいかに1曲1曲に真摯に向き合っていたかを物語っています。

 



山上先生も平尾先生も森岡先生も、数えきれないほどの曲を世に送り出してきました。
ヒット曲もあれば、埋もれてしまった作品もあるでしょう。
それでも、この「瀬戸の花嫁」という1曲をこんなふうに歌うことができる――その姿に、私は深い感動を覚えました。

いま、AIが楽曲を生み出す時代になりました。
けれども、AIが受賞の場に立ち、受賞者の隣で歌い、涙をぬぐうことはありません
この映像に映っていたのは、人間だからこその温かさ、音楽を作ることへの情熱、そして責任感でした。

ほんの数分の映像でしたが、そこには音楽を生む人たちの本気が詰まっていました。
私にとって忘れられない名シーンとなりました。

 

 

fuyunoeki2014さんの動画を共有させていただきました。


 

 


 

瀬戸の花嫁』(3分16秒)
作詞:山上路夫/作曲:平尾昌晃/編曲:森岡賢一郎

 

2017年7月21日、作曲担当の平尾昌晃さんが79歳で肺炎により逝去。同年10月30日に平尾さんの音楽葬が営まれた際、参列した小柳ルミ子さんは終始嗚咽しながら弔辞を読み、また小柳さんを始めとする歌手仲間達が「瀬戸の花嫁」を大合唱し、平尾さんの霊前に捧げました。

〈主なカバー曲〉

1973年 沢田亜矢子 『アザミの花/特別な友だち』
1978年 石川さゆり 『火の国へ/砂になりたい』
2009年 森進一 『エンカのチカラ -GOLD 70's-』
2011年 若林正恭 『瀬戸の花嫁/HEART 〜鳩とお嫁さん〜』
2014年 石原詢子 『石原詢子 時代のうた』


 

小柳ルミ子さん「瀬戸の花嫁」原曲キーへのこだわりに敬意を込めて(NHKうたコンより)