近頃、僕にとって、制作とはなんなのか、表現とはなんなのかずっと考えていました。
ファッションのデザインは、ターゲットやコンセプトやコストパフォーマンスなど色んなことを考えながら仕上げてゆくのですが
イラストや写真に関しては、あまり考えていないというか、シュールリアリスムのように無意識を表現しているようなものでした。
出来上がった作品を見ながら、あとから、それが何なのか考えていましたが
ずっとぼんやりしていて、あまり見えていませんでした。
僕の中に潜在的にあるもの
なんなんだろう

写真のモデルをするさいに、露出の多い格好だったり
絵を描くときに、裸の女の子ばかり描いたり
だけど、ポルノに興味はなくて、むしろ成人向けとかそういうものは嫌いなほうで
自分自身、性的な目でみられるのも嫌なのに
どうして、そういう表現をするんだろうと考えていました。
もう一度、自分の作品をよく見て考えてみました
そこで見つけたキーワードが
「性」「食」「死」
この三つは、すべて生きることに繋がっています。
性は嫌らしいものとして扱われることが多いですが、命の根源といいますか、それがないと、僕も産まれてきませんでした。
そして、生命というのは子孫を残すために生きているというのはよく言われることですね。
それから、食
食べること。
今日の僕の晩御飯は、お好み焼きと焼きそばでした
それは何でできているか、卵、小麦粉、豚肉、野菜
卵を得るためには、鶏という動物の自由を奪います
小麦粉を得るためには、小麦という植物を殺します
豚肉を得るためには、豚という動物を殺します
だけど生きるとはそういうことだと思います。
そして、死は生の対義語ですが
死がなければ生という概念がないのではないかと思います。
生きることは、優しいことではありません
汚くて、醜くて、恐ろしいことだと思います。
僕は、いつまでも性自認と喧嘩しているし、できることなら何も殺したくないし、死んでしまいたい日もあるけれど
それでも、なんだかんだ生きています、
つらいばかりではないからです。
生きていれば、楽しいことも沢山あります
だけど、不意に生きることへの恐怖を抱いたりもします
だから、生きるということの、汚さや醜さや恐ろしさの中に美を見つけることで
今日を越えていきます。
僕が、甘美な女の子を描くのと、虚無的な男の子に化けるのは
そういうことなんだと思います。
性と食と死と、全てを受け入れた女の子の僕がいて
性も食も拒絶して、死だけを見つめている僕がいて
まだその二つが反発していて、矛盾やごまかしが生まれる。
それが今の僕の制作です。
別に、ただ格好いいから、好きだからって
肌色や血みどろを描いているわけではありません。
格好いいから、自殺を題材にしている訳ではありません。
僕は生きることを作品に反映しているようです。
まあ、あくまでも僕の意見です。
生きることや、性や食や死に関しては皆さんそれぞれの考え方があると思います。
僕の考え方だって、これから変わっていくと思います。
だけど、僕の作品には、そういう意識が潜んでいるんだと思って見てください。
では、御機嫌よう。