あだ名は     アヒルです   「後編」 | 枚方コーリング

あだ名は     アヒルです   「後編」

佐藤はまだ窓際の席から校庭を眺めながら“100円玉で買える温もり熱いおしるこ握り締めえー”と頭の中で唄いながらニヤニヤしていた。担任教師プッツンの挨拶の長い話が遠くに聞こえていた。佐藤は昼休みに浅田と話していたあだ名の件を思い出した。


「まさか実行はしないだろうな…」


あの後、少し我に返った浅田が教室に向かう途中で不安になり佐藤に「大丈夫やろか?自己紹介ウケるやろか?彼女出来るやろか?」と漠然とした不安を投げかけていた。めんどくさくなった佐藤は「大丈夫!お前は自分で思っているよりも意外と可愛いキャラもイケるねんで!」と無責任に自信を持たす一言を言ってしまっていた。


プッツンの話が終ったようだ。佐藤は女子が座っている方に視線をおくり、セミロングとショートヘアを探していた。


プッツンがおもむろに
「ほいじゃー出席を取っていきます。その時に自己紹介を頼むぞお!。これから一年間同じ学び舎で共に学ぶ友達同士だからなあ!」

学び舎って…佐藤は呟いて、浅田の方へ視線を移した。浅田の背中は少し不安げに揺れていた。出席番号順に自己紹介をするとなると浅田が一番となる。不安であって当然である。緊張して当然である。


佐藤と浅田がこれから一年間を共にする1年12組のクラス全員の視線が教壇に立つプッツンと出席番号1番の浅田に向けられた。緊張の空気をマヌケに切り裂くプッツンの鼻にかかった声が響いた。


「あさだあー ひろゆきい!」


「はい!」


 普段より数倍高い声で浅田は返事をして立ち上がった。かなり緊張している様子で、立ち上がる動作がぎこちなかった。一番前の席のため、後ろの方へ振返る形で自己紹介が始まった。


 緊張している表情かと思いきや浅田は不気味な半笑いの表情をたたえていた。なぜ半笑い?と佐藤は考えた。明らかに気味が悪い。決して爽やかなもんではない。佐藤は嫌な予感がした。あいつは「可愛いスマイル」のつもりなんだろうか?だとしたら…。


「えーっと!はじめまして!浅田博幸です… えーと あっ 自己紹介!そうですね趣味とか言ったほういいのかな?」
浅田は頭をかきながらまた半笑いになって言った。声は妙にいんちき臭くマイルドでトーンが高くて気持ちが悪い。佐藤は浅田がはにかんでいるつもりであることがわかった。しかし、どう見ても不気味な半笑いだ。


「えーっと!趣味は音楽を聴いたりぃ 読書とかです。」
月並みだ…  と佐藤は思った。
しかし、あの不気味な半笑いは可愛いキャラの演出だろうか。

っつーことはまさか…。


「そうですね。音楽とか好きなんで、高校ではギターとかも練習して弾けるようになったらいいなって思ってます。」
まだ不気味な半笑いだ。教室内は妙な緊張感に包まれていた。誰一人微笑ましい顔をしている奴は居ない。


クライマックスは唐突に訪れた。


「あとー あだ名なんですけど。とても珍しいあだ名でえー 中学校の頃のあだ名は・・

あだ名はアヒルです!」


その瞬間に時間が止まった。


沈黙の中、ただ涼しげな春の風だけが窓から静かに流れていた。担任プッツンの眼鏡の奥の小さな瞳も瞬きを忘れて浅田を凝視していた。


全世界がこの後の動向に注目しているように思えた。


やっちゃったよ…。佐藤は思った。

清々しいくらいだ。クラスの中で誰一人としてクスりともしない。重い沈黙が続く。浅田は笑い待ちか、質問待ちか、次の言葉が出ない。半笑いのまま固まっている。
かすかに半開きになった巨大タラコが震えている。


沈黙は15秒程度であったがそこに居るもの全てにとっては30分ぐらいに感じられた。その重い沈黙を破るように精一杯震える巨大タラコで奴は言った。


「あだ名はアヒルです。」


うそやんっ!佐藤は彼の根性を少し見直した。もう1回言えばウケると思ったのか。迷走しているのか。しかし、余計に沈黙を煽り、皆を混乱させる結果となった。


浅田の顔はすでに真っ赤に赤面しており、表情は不気味な半笑いのままで麻痺し、巨大タラコが震えていた。
「よろしくです…」
と最後の気力を振り絞り、震える声でそう言うと浅田は静かに席に座った。


次の生徒の自己紹介まで沈黙は続き、隣りの有名私立小学校の孔雀のうるさい鳴き声だけが聞こえていた。


 反対に佐藤の自己紹介は無難な形で終った。
自己紹介の際に佐藤はクラス全体をつまなく探したが昼休みに佐藤と浅田が見たセミロングとショートヘアの彼女たちはいなかった。

その後、浅田のことを“アヒル”と呼ぶやつは一人も無く、ましてその理由を尋ねる女子も当然いなかった。皆が皆、腫れ物を触るように自己紹介の話題には触れなかった。


ともかく、二人の高校生活は始まったのであった。