あだ名は アヒルです
佐藤にとってはなんだかけだるい春の午後であった。ここは大阪府枚方市のとある高校。教室の中は妙に空々しくも新しく馴染めない空気が漂っていた。新高校1年生の初日である。ちっとはワクワクするような気分になっているかと期待したが特にコレといってそういう材料は無かった。
席順は例のごとく出席番号順。ア行から窓際にそって並んでいる。佐藤の席はア行とカ行が極端に少ないクラスだったせいか、1列目の一番後ろだった。先生の目を避けるにはもってこいの位置であるが、この席順は今だけであって、すぐに良く分からないアイデアで席替えが予定されている。
佐藤はぼんやりと窓から校庭を眺めていた。別に好きでもない尾崎豊の「15の夜」という唄を思い出していた。校庭に立つ木々は新緑をたたえ、窓の外からは爽やかな春の風が佐藤の髪を揺らしている。
「尾崎もこんな感じで教室の窓から外を眺めていたのだろうか…。絶対そんなわけねえよなあ…。奴はなんでいつもまぁあんなに深刻そうなんだろうか。 しかしまあ オレには15の夜みたいな唄は恥かしくて唄えへんなあ…。 100円玉で買える温もり熱い缶コーヒーって…」
“100円玉で買える温もり”というフレーズが可笑しくて、佐藤は嫌な感じでニヤニヤしていた。「100円玉で買える温もり熱い“おしるこ”やったら絶対あかんのやろなあ…」などと考えながら。
佐藤は見た目はどこにでもいるような普通の高校生である。髪型も体つきもいたって普通。名前も普通。1つ特徴と言えるものをあげるとするなら犬のように黒目がちな瞳である。人によっては眼差しが素敵!とかいう女子も中にはいるが間違いなくマニアックなカテゴリーであろう、基本的には犬と一緒で何を考えているかよくわからないし、時には淡々と冷たく、いじわるな印象を受ける。また「なんで?どうして?なんでなん?」と“なんでマン”になっている幼児期の残酷さが未だに残っており、本当のことでも嘘でも、言っちゃいけないことでも佐藤が言うと周囲に一瞬緊張は走るが許せてしまう無邪気さを持ち合わせている。
佐藤の列の一番前の席に座っている太った男が浅田である。佐藤とは中学生のころからの友達である。浅田の前歯のうち一本は黒く変色している。
小学生の頃に悪い友達にそそのかされて土葬の墓暴きのいたずらをしていた時のこと、急に恐くなってきた浅田は途中で自転車に飛び乗り逃げ出した。その際に転倒して前歯を痛打してから神経が切れて黒くなったのだと佐藤は説明を受けていた。そして、この黒い前歯は墓暴きした霊のタタリなのだと。
タタリなわけねーだろ!と佐藤はいつも浅田に言うのだが奴は頑としてタタリ説を曲げようとしなかった。
浅田の目は細く、佐藤とは対照的に黒目が小さい。唇はとても分厚いタラコのようである。黙っていると怒っているように見えて、佐藤も最初の頃は恐かった。その顔が笑うと細い目と巨大なタラコからのぞく黒い歯のおかげで浅田の笑顔は余計に異彩を放つこととなる。
数時間前、入学式後の昼休みに佐藤と浅田は素直に同じクラスになれたことを喜び合った。
二人は中庭のベンチに座りコーヒー牛乳のパックをペコペコさせながら作戦会議をしていた。会議の内容といっても、佐藤と浅田はお互いオーソドックスな名前ゆえにあだ名が無いため、心機一転して新しいクラスで新しいあだ名を手に入れようというような話である。
あだ名なんてものは他人がつけるもんであって自分達でどうこうなるもんでもないのだが、二人は最初のホームルームの自己紹介でセンセーションナルなインパクトを皆に残せば、何らかの形であだ名として呼ばれつづけるきっかけとなるのではと考えた。
「オレは別になんでもええねんけどな。佐藤をあだ名にしよう思ても呼びにくそうやん。サトやんとかサトっちとかなんかキモいし。いっそのこと名前の呼び方から派生するあだ名よりももっとかけ離れた名詞のほうが価値があると思う」
佐藤は黒目がちな目で遠くを見ながらそう言った。
浅田はそんな佐藤の横顔を見て、価値あるあだ名ってなんやねんと思いながら
「かけ離れた名詞って?よく意味がわからんが…」
「いやだからさ おまえ今さら“アサやん”とか“アサだっち”とか言われてうれいしか?」
「いや 有りやと思うで…」
「“アサだっち”なんて絶対時間が経過すると“朝立っち”ってチンポねたにされるのが落ちや。最初のホームルームでこれからの高校生活が決まるんや。ありきたりやったらおもんない。オレはとびっきりの方法を考えたんや!」
「なんや!?その方法って!」
浅田は半信半疑で佐藤の犬目を見ようとしたが佐藤はさっきから遠くを見たままで目が合わない。どうやらその視線の先は高校に隣接している地域でも有名な私立小学校にある鳥小屋にいる孔雀のようである。
有名私立校は飼育する鳥もレベルが違うようだ。孔雀は押し付けがましく羽根を広げて、迷惑なほど大きな声で鳴き声を響かせていた。
「なんで小学校に孔雀がおんねん!」
「知らんわ!」
浅田はイライラしてきた。
「いやだってさ。あんな鳥は動物園で見りゃいいじゃん!意味わかんねえ!食えもしねえのに。日常的に毎日拝むような鳥じゃねえだろ!」
佐藤の犬目がより大きくなった。
浅田は半分怒りながら
「だからその方法ってなんやねん!孔雀とかどうでもええねん!これからの高校生活が決まるとびきりの方法ってなんやねん!」と巨大タラコから飛沫を飛ばしながら声を荒げた。
その瞬間に同じ1年生であろう女子二人が佐藤と浅田の前を走り抜けていった。栗色のセミロングとショートヘアである。
セミロングは小柄で小猫ような顔をしており、ショートヘアは身長が高くファッション誌によく載っているようなモデルのようであった。中庭の木々の木漏れ日の道を二人楽しそうに笑いあいながら走っていく姿に佐藤と浅田は神々しいものすら感じていた。
「ありやな…」
犬目が少し人間らしくなり、佐藤はそう呟き、二人の背中が見えなくなるまで目で追った。
浅田も同様に黙ってセミロングとショートヘアの後ろ姿に細い目を大きくし熱い視線を送っていた。
二人とも同じクラスであったらいいのにという淡い願いを胸に秘めて。
「でな!要はさ!有り得へんキーワードがヒーローを生むわけよ!」
佐藤が突如として思い出したように話し出した。
「例えば自己紹介の時に、浅田といいます!よろしくお願いします!とか言うやん?ここまでは普通やろ? んでここからが重要! 中学の頃はみんなにこう呼ばれていましたという流れでインパクトの強いあだ名を言うわけや!何でもええねん!でも笑わそうと思って言わんと嫌味やで。 たとえばやな。浅田が女子に好印象を持ってもらうためには、まず可愛い印象を与える必要があると思うねん。そのグロテスクなヴィジュアルというハンデがある以上は。」
「やかましいわ!グロテスク言うな。」浅田は一応軽く突っ込んでおいた。
「んでな。たとえばやな、中学校の頃のあだ名は“アヒル”と呼ばれてました。とか言ってみいな!女子はまず第1印象としてのお前のグロい印象が吹き飛ぶわけよ。」
「せやからグロい言うな。」ここも一応浅田は突っ込んでおいた。
佐藤は犬目でまた遠くを見つめながら
「もちろん“なんでアヒルやねん!変なあだ名やなー!”と笑いも当然取れるし、女子からは“なんでアヒルなん?”と質問も飛び交うわけや。んで理由を話すとすごく時間かかっちゃうしぃ知りたい人は休み時間に声かけてくださいね!とか言うて、ニッコリ笑っておじぎして自己紹介終了。休み時間に女子がわんさか!“浅田くーん!なんでアヒルやったん?”と来るわけよ!」
佐藤はここまで話して実は自信を無くしていた。アヒルで笑いが取れるはずがない。ましてやアヒルの理由に興味を持つだろうか…・と。佐藤が視線を浅田に移すと浅田は細い目を余計に細く垂れ気味にさせて巨大タラコをだらしなく半開きにさせて嬉しそうにニヤニヤしていた。その半開きの口から
「有りやな。」
と自信と確信に満ちた声がこぼれた。
佐藤は少し不安になったが、浅田のニヤけた顔を見ていると面白くなってきて
「ええ感じやろ?でアヒルのあだ名の理由はさ、小さい頃からアヒルをずっと飼ってて、スゲー可愛がっていたと。あまりにも溺愛してたため周りが呆れてお前のことを“アヒル”と呼び始めた。んでそのアヒルが死んだ時ショックで1週間ほど学校を休んでしまった。そのぐらいアヒルが好きやってん!と。まあ、この話を聞けば“いやー!マジ浅田くんて可愛い!優しい人やねんねえ!”っつー感じでよー!いきなり彼女なんか出来ちゃうかもしれないわけだあ!」と佐藤は浅田の肩を揺すりながら声を大きくしながらアヒルの理由を提案した。
浅田の顔は、すでに恍惚としており、巨大タラコは
「有りやな。」
と呟くだけだった。