忙しくて書けない日が続いていました。

 

先日、手帳の更新に行きましたが、臨床心理士さんの誘導が悪くて、発達検査を娘が拒否したので、また再来週1時間かけて行かなくては行けなかったり、就学先が「支援学校」に無事決まったりと、七夕も吹き飛ぶような慌ただしい日が続いていました。

 

書きたいことはたくさんあるのですが、また同じような堂々巡りを書いてしまいます。

お付き合いいただける方は読み進めていただけたらと思います。

 

初めて娘の園の交通安全教室というものに参加してきました。

 

年少からあったのですが、娘は交通安全教室のあと「必ず連れ帰る」という流れになります。普通のお子さんでも母子分離が難しいのに、たった30分程度の教室の為に朝から園に連れて行き、帰る労力のほうが負担でいつもお休みしていました、

 

今年は開始時間が遅めだったこと、娘の成長もあり参加することにしました。「支援学校」への進学が決まり、今のクラスメイトとともお別れかと思うと、参加してみようという心境になったのです。

 

遊戯室に入ると子供達は2列に並ぶように言われていました。娘はもちろんそこにはいません。保護者は廊下で待つようにと指示があったようで皆さん待たれていました。

 

娘は入り口で加配の先生と手を繋いで私の到着を待っており、私を見るやいなや、はちきれんばかりの笑顔で飛びついてきました。

 

娘は20キロになり、背も高いので目立ちますがもう他の保護者の方の目は気にならず、思い切り抱きしめました。といっても保護者の方も皆さんもうご存知で温かい目で見てくださる方も多くて、以前よりずっと楽にはなっています。

 

最終的には娘もみんなの列に先生と並んだのですが、こちらに来たがることもなく、チラチラ笑顔で私の方を見る姿に成長を感じずにはいられませんでした。

 

でも、

 

娘に合わせて動いていたら、自然に私だけ他の保護者から離れたところに座っていました。

 

その時、やはり猛烈に泣きそうになるのです。

 

「なぜ、わたしはそちら側ではなかったのだろう。」

「私も本当なら、そちら側に座っていたのに。」

「あなたがここに座ることになったら?って想像できる?」と

 

目をキラキラさせて交通安全について答える娘のクラスメイトを見て、

 

「どうして娘はこちら側ではなかったのだろう」と思い始めるとただ泣きそうになるのです。みんなの大きな返事の声に「耳を押さえている娘」を見て、「あぁ。かわいそうだ。」と思うのです。

 

こうした想いはずっとずっと消えません。むしろ強くなってきているように思います。

 

スーツケースを持って歩く娘の同級生家族を見れば、「あぁ、娘に障害がなければわたしだって」と思います。七五三の年賀状を見れば、「娘だって障害がなければ」と思います。

 

昔は挨拶して無視する人の気持ちがわかりませんでした。

 

うつむき人と目を合わせないようにしている人の気持ちがわかりませんでした。

 

反社会的な行動をする子の気持ちもわかりませんでした。

 

でも、最近、少しわかるような気がします。

 

「どうして」と思う気持ちがだんだん憎しみや諦めに変わってしまうことがあるのです。

 

逆らえない運命に気持ちが疲れて、自暴自棄になります。

 

でも、でも、でも、やっぱり娘が大好きで、世界一、宇宙一かわいいのです。

 

お母さんは弱い自分を持っているけど、そんな自分に負けたくないと思う。

 

比較することはなかなかやめられない、自分と娘を認めることからやっていこう。