あんなに禅っぽいことを書いたのに、実生活はここ1週間めちゃくちゃになってしまいました。いや、めちゃくちゃなのは私の心だけなのです。

 

発端は息子が熱を出し、知恵のついてきた娘も私と息子が在宅なのを感じ取り、家にいたいと保育園を行き渋りました。それはそれで疲れたのですが、結局3日間、二人を家でみました。

 

ここまでは色々あるものの、欲を出さず、大変な事柄もやり過ごせたのですが、土曜日の朝、主人から開口一番、「子供に過干渉すぎる」と言われた瞬間、何かが崩れてしまったようになりました。きっと何回も言われてて、その度に「注意するね!」と言ってきたけど、つもりに積もった私の気持ちもあったのだと思う。

 

3日間子供たちを在宅で見て、主人の夕食も家事も手を抜かず、それなりに過ごしてきて、朝イチに言われたことで、なんだかもう全て捨てたくなりました。

「そういうなら、あなたが望むように子育てをすればいい」と言って、車に乗って家をでました。

 

ただ家を出ても行くあてもなく、河川敷に車を停めたり、図書館の駐車場で時間を潰したりして、夕方に帰宅しました。涙がポロポロ溢れて、コンビニで買ってパンを口に詰め込み流し込むだけ、車のシートを倒して寝そべっても落ち着かず、どこにいけば一人になれるのだろうとフロントガラスに落ちる雨をずっと眺めていました。

 

帰ると主人が「余計なことを言って悪かった」と言いましたが、私は「余計だとは思ってないし、怒ってるとかそうではなく、ただ疲れた。今は何も考えられない。」と言って2階でこもりました。捨て台詞のように、「昼、ラーメン食べさせたでしょ。夜はもう少し考えて作ってやってね。」と言い残しました。

 

夜に息子が来て、「お父さん、冷凍したまま魚も肉も焼いて、丸こげででも焼けてなくて。

○○(娘)はお父さんがまたちゃんと見てなくて、階段から滑って弁慶がめっちゃ腫れて泣いてた。ママって探すからずっと家は鍵かけて大変やった。早く仲直りしてね。」と言ってポンと足をさわって出て行きました。

 

主人から「冷凍のまま焼いてもあかんねんな」と言われても返す言葉もなく、ただ片付いた家を見て(いつもはめちゃくちゃ)主人なりに頑張っているのはわかりました。

 

でも、心はどこか遠くにいったままです。

 

「過保護」と人にいいながら、毎日準備された夕食を晩酌と携帯漫画片手に見る主人に対して、「暇すぎて人のことが目につくんじゃない」と冷めた目を向けてしまいます。

 

今朝は毎朝かかってくる母からのめんどくさい電話で、また「娘は療育の日は休みやったね」と聞かれて「ばかじゃないの。もう半年くらい前から休ませずに行っているのに。いつも、なんで娘は休みっていうの。何が言いたいの。もう疲れた。」と言って電話を切りました。

 

そして、母も暇すぎるのです。人の時間を奪うことを「さみしい」という言葉にすり替えてきます。車で10分ほどのところに住む42歳の娘に毎朝電話をかけないと気が済まない母にもううんざりと正直思いました。

 

取り留めない文章ですいません。ただ吐き出したいだけです。

 

私が穏やかでいたら、なんだから周りはとてもリラックスしてきたようで不調です。母の毎朝の電話もやめてほしいと思いつつも、「誰かと話したい」という母の欲に応えていることが疲れ果てました。

 

思わぬ禅精神の副反応に苦しんでいます。

 

いや、自分の欲を捨てても、他人の欲までは管理することができない。

 

どうしたらいいんだろう。

 

とりあえず、私は私のことだけ考えよう。

 

ほんともう、子供達のことだけでいっぱいだから、大人の面倒はみられない。

 

もう子供達も家も主人にあげるから、逃げたいと思ってしまう。

 

なんでこんなことになるんだろう。