本当にしないといけないことって意外に少ない

 

買い物も、連絡も、何もかも。しなかったら?

 

信用を失う? 残念がられる? 軽蔑される? 失格?

 

誰に?大切な人ならそんな余計なことを考えずに体が動いている

 

心の中で、「したくないけど」、相手の期待に応えたいと思ってしていることはとても疲れる

 

自分の心に反すること

 

 

正しさがわからなくて、相手の顔色を見て、ネットのコメント見て、他人の悪口を見聞きして、判断しようとする。

 

「そう思われるんだ。」「そういう風に判断されるんだ。」「こわいなー。こうなりたいくない。」

 

誰に?自分で決めないの?

 

期待した反応が得られないと、今度は「せっかく」、「なんで」、「何が悪かった?」、悶々と考えたりする。

 

相手のためじゃなく、義務感でやっているから

 

こういう時、「相手は変えられないから自分が変わらなきゃ」と思っていた。

 

でも「変わらないと」となった段階で疲れている。それは本当にしたいことじゃない。

 

今は、相手が変わらないから自分が変わるということは、「自分が相手を変えたい(期待している振る舞いをしてほしい)」という意識を捨てることで、自分がなりたい自分に変わっていくということじゃないかと思っている。

 

そして、変わりたかったら、勝手に変わっていくと思うから、「変わらなきゃ」という意識自体が自分をしんどくしていると思う。

 

以前、ブログで注意されたり、批判されたりするととても気分が滅入った。

 

今は、それはその人たちの生き方なんだと思う。だからと言って受け取る必要もないし、考える必要もない。その意見があったという事実があるだけ。その人たちは私の人生のどの時点においても何も影響を持たないし、与える存在でもない。あえていうなら、時間を取られた存在だということ。

 

私が高田純次さんが好きな理由はきっと、適当さが好きだと思っていたけど、相手の質問に真摯に応えていないから好きなんだと思う。

 

「真摯に応えるのが正しさ」みたいなことから解放されたかったんだと思う。

 

「優しくしなきゃ」、「正しくしなきゃ」、「真面目にしなきゃ」

 

「〜しないといけない」という感情から解放された時、初めて自分のことを好きになった。

 

本当にしたいときは自然と体も心も動くから

 

そこには何も見返りを求めない自分がいて、清々しい

 

人間だから失言もする、失敗もする

 

「それを次にいかせば」なんて思わなくていい

 

もう40歳過ぎた。娘は知的障害。それだけで十分すぎる。

 

向き合わなくていい、なんもしなくていいの

 

好きな自分でいられるように嫌なことからは今日も逃げる