桜がこんなに自分の心を高揚させてくれる存在になったのは、きっと娘の障害があったからだと思います。
最後のブログを書いてから、私はとても気分が落ち込み、どうしたらいいのか分からなくなりました。
娘は成長はしているものの、癇癪、こだわりが以前より強くでる時もあり、まぎれもない「知的障害」の存在を前に、何を希望にすればいいのか分からなくなってしまいました。
ブログを書くことも、読むこともできず、ただたくさん、色んなジャンルの本を読みあさりました。自分を違う世界に連れていってくれる唯一の救いでした。
一つの本に「孤独」はさみしいかもしれないけれど、美しいといった言葉がありました。
誰かと共感したり、分かち合うことだけでなく、孤独であるからこそ、また生きることの意味があるということだと私は捉えています。
この孤独は物理的なことだけでなく、精神的な孤独感もあると思います。
娘の障害は私を孤独にしたのだと思います。そして、孤独だからこそ感じることがある世界を今、知ったのです。
娘が違う世界を見て、生きているように、私も新しい世界を見ていると思っています。
変わりたいと毎日ブログを書く必要はなかったのだと思います。ただ自分を見つめて、生かされているのだと静かに呼吸するように生きていけばいいと思っています。
コメントのお返事、また近々させて頂きます。遅くなり本当に申し訳ありません。そして、今後はコメント欄もいいね。も閉じさせて頂く予定です。
クマバチ舞う図書館の庭から書かせていただきました