毎日書くことで自分を見つめ直せて、精神的も安定してきたように思います。

 

私は娘の障害を認めているつもりがずっと認めていなかったかもしれないと思い始めています。

 

とても言葉に表現するのが難しい気持ちなのですが、「娘にこんな障害が無ければ自分が苦労せずに済んだのに」という気持ちが強く、「人に自分の苦しみをわかってもらいたい、でもわかってもらえない」という気持ちから、自分にも心を閉ざしてしまっていたのだと思います。

 

いつも娘より小さなお子さんの成長が気になりました。

 

他のお子さんの七五三の写真、ディズニーに行っている写真、習い事の写真、見るたびに自分と娘には縁のないことだと思うと、ぎゅーと胸が苦しくなりました。

 

運動会で砂を食べていたり、発表会で一人だけ上を向いて首を振っていたりすると、「どうしてうちの子だけ」と思っていつも泣いていました。

 

「うちの子だけ違う」ということが私は受け入れられなかったのだと思います。同時に周りにどう思われているのだろうとも思っていました。どんなに自分が頑張っても、努力しても障害が治らないという事実に心が荒んでいきました。

 

きっと、スポーツができるとか、絵が上手いとか、人から評価されることなら「うちの子だけ違う」ということも誇りになるのに、「障害」があるということは私にとっては評価できるものではなかったのだと思います。そもそも子供を評価するなんてことがおかしいのかもしれないのですが。

 

ブログを書いて11日目。

 

娘の問題ではなく、私の問題であることがわかってきて、娘の障害を自分の問題に絡めていたように思います。

 

今は少し楽になって、「娘は障害があるから2歳くらいの子と同じようにしかできない」、「障害があるということは人と同じようにできないことは当然で、人と比べることは意味がない」ということを納得できるようになりました。

 

書くと本当数秒で済んでしまうんですけど、自分にこの事実を落とし込むまですごく時間がかかりました。

 

私が「良い母親」であることは娘の障害を軽くすることにはならないし、まず、娘のできる範囲をきちんと見つめて、向き合っていきたいと思います。

 

オムツに💩をしたまま遊ぶ娘に嫌気がさしていました。「こんなこともできない」、「あんなこともできない」、「わからない」、「この歳になっても」、いつも悲観していました。

娘の行動を「奇行」と呼び、さげすんでいたのは他人ではなく私自身でした。

 

昨日は、「そのまま座るとお尻が臭くなってしまうから教えてね。トイレ(絵カード)次に一緒にいこうね。」と笑顔で言えました。

 

そんなことはできるのは余裕のある人だけ、とも思っていましたが娘に起こる出来事が客観的に見られるとできることもあるのかなと思いました。今の娘には今の娘の限度があり、それは私の母親としての課題ではないと思っています。

 

数日後にはまた泣き言を書いているかもしれませんが、今日は良い一日になりました。