「パートですか?」もそうだけど、何気ない一言がずっと頭から離れないときがある。

逆に私の何気ない一言が相手を不快にしている?苛立たせていることもある。

 

娘の障害がわかる以前の出来事。

 

すごく仲が良かった幼馴染に「あんた夫婦のとこは大企業だから将来安泰やな」と言ったら、すごく嫌そうな顔で「何がわかんの?」と言われた。

小さい頃からずっと一緒で、海外旅行も一緒に行った。恋愛でも家庭のこともどんな相談でもしてきた仲なのに、相手の見たことのない顔にとても戸惑った。昔のあんたなら「簡単に言うなよ〜」って笑ってくれたのに。と思ってしまう。

相手が変わったのか、自分が変わったのか、相手が繊細になったのか、私が無神経になったのか。一言でなんだか今までのすべてを失った気がした。コロナで自然と距離が取れるいいきっかけになった。お互いそこからは会っていない。年賀状で「薄毛になった(笑)」と送ってきてくれてた。来年は「娘、知的障害!重め〜」と送れるかな。

そこには変わらない関係の私たちがいる。

 

先日も障害のあるお母さん(世間話する程度)と話していた。預け先のことで話していて、私が「でも、成長もしていかれるだろうし」と話したら、「本人(子)の問題じゃないの。私の問題なの」と思いきりイラつかせてしまった。同じ障がい者の親だからといってわかり合えるわけじゃないけど、自分のイラつきを他の人もいる前で出されると、正直もう何が正解かわからない。話さなければ良かったと思うだけだ。

 

私は相手に不快なことを言われても笑って聞き流す性格だから、面と向かって「あなたの発言は不快!」という態度をされると、とても申し訳なく、自分が無神経で非常識な人間だと思う。それと同時に否定してきた人たちの人間性だってそんな聖人君子でもないのに、自分だけ否定され割に合わないと思う自分にも嫌気がさす。反論することでもないと思い、ただ落ち込む。

 

私は沈黙が苦手だ。相手に何か喜んで欲しい、話題を提供して場を盛り上げないとと思って、失言をしているのか、考えてみた。

 

相手を不快にさせている原因。それは「おべんちゃら」を言っているからだと思う。

 

大して考えず、適当に話しているから。相手を判断するような一言を安易に発言している。

 

娘の障害がわかってからは特に話したいこともない。もう人を判断するような話題はするべきじゃないんだと学ばないといけない。私も人から判断されたくない。

 

口は慎もうと思う。言葉を選べる人になりたい。人を傷つけるかもとビクビクして生きたくない。

 

言わぬは言うに勝る。

41歳。生き直していきたいと思う。