しばらくネットからブログから離れていた。

なんだかすごく疲れた。

 

娘の肌着の袖を手繰りながら、こんなに大きくなっても中身は赤ちゃんで、「育児」ではなく「介護」だと思えたり。

 

そんな気持ちも認めたらいいのに、認められなくて、餃子を作って、ビーフシチューを作って、掃除して、また料理を始める。

 

目の前に美味しそうなものが出来上がる度、家族が喜んでくれる度、小さな達成感と幸せを噛みしめ、小さなため息がでる。

 

障がい者でない私にはやらなければいけないこと、やるべきこともある。

 

自治会からこの時期、役員決めの連絡がくる。

当初はずっと参加していたが、娘の障害がひどくなってきてからは参加できていない。

 

古い地域でお年寄りが増えており、役員の成り手がないのだ。神社、消防の役もあるし、運動会的なイベントへの出役もある。とりあえず、行事や話し合い、準備が多い。

 

我が家は費用を支払うことと、清掃(河川含む)年3回、のみでお許しを頂いているのだが、今年の組長(自治会長のその下)さんはそうはいかれなかった。

 

話し合いに行けないことを報告すると語気を強めて「来られないということは、どの役が当たっても文句はないということですね」と言われた。

 

私は丁寧に「家に知的障害の娘がおり、その世話で主人も私も疲弊していること。仕事を辞めたこと。当初は神社の清掃も話し合いも参加させて頂いていた経緯を説明し、そんな道理が通らないということも承知して、お願いしている」と話すと、相手の口調は少し柔軟にはなったように思う。そして、

 

「自分の一存で返事はできないので、今お話いただいた事情を組で共有させていただくこと。娘さんが落ち着かれたら参加していただきたい」ということで話は一旦終わった。

 

夜に悶々とする。言いたいことは言った。

 

知恵袋で書いたもんなら集中砲火を浴びるのはわかっている。

 

「みんな事情があるけどやってるんです」、「費用負担、清掃にでるのも当たり前のこと」と言われるに決まっている。

 

わかっているから辛いのだ。田舎で育った私は地域における自治会というものがどんなものか承知している。でも、今までちゃんとやっていたって、できなくなった瞬間に矛先が向くことにとても疲れた。役割を果たさなけば、地域でも会社でも一員とは認めてもらえない。健常者はそうなのだ。

 

娘は災害時、避難先にも行けない。神社の舞も踊れない。その言葉は自分だけが飲み込んで、でも消化できずにいる。息子は子供会の活動は「興味がない」との一言でまったく参加していない。

 

主人は自治会を抜けたいと言い出している。今回のことも、俺は上手く言えないから言って欲しいと私に頼み、嫌なことを言わせてごめんと謝ってくれる。

 

謝られてもなと正直思うけど、どうするのが正しいのかもわからない。

 

私の気持ちは宙ぶらりんになる。

 

障がい者の社会を見守りながら、健常者の社会で生きていく。

 

両輪が上手く噛み合わず、事故を起こしてしまいそう。

 

これから住宅を購入される方は、自治会関係の確認をお忘れなく。

 

と言っても「子供が障がい者」になるとは微塵も思っていなかった私だけど。