昨日は娘がまたショッピングセンターに行きたいと言い出した。息子はもちろん「NO」。私たち夫婦も行きたくない。
でも、例の癇癪が始まる。
私は主人に「家にいて癇癪地獄か、ショッピングセンター地獄がどっちがいい?」と聞いたら、主人が「ドライブ地獄して、ショッピングセンター地獄」と言った。
ショッピングセンターを出て、帰宅してから10分後に地震があった。震度4くらいだった。
しばらく動悸がした。つい先日も大きな地震が起こったら娘には避難所は無理だよねという話をしていた。
そして、自分が「みんな不幸になればいい」と先日、記事を書いたことが心に引っかかる。
本心ではない。
みんな幸せが1番いいに決まっている。でも、私は自分の不幸を嘆くあまり、他人の幸せを直視したくなくなっていた。そして、その記事を書いた。
地震が起こる前の夜、主人に「私は悪魔に心を売り渡したのかも」と話していた。もう他人はどうでもいいと話した。
でも、昨日地震が起こり、ニュースで流れる混乱する人々を見て、心が痛んだ。自分はぬくぬくした室内で呆然と娘を抱きながらニュースを見ているだけで、今その人たちからみたら、間違いなく私は幸せだった。
娘の障害をどう受けとめていいのかやっぱりわからないし、どう生きていけばいいのかもそんなにすぐにはわからない。
でも、やっぱり自分の軸を持つことが大切なんだと思う。それがないから、他人軸で幸せを図り、左右に揺れてばかりいる。
自分が言葉は発する時、自分が行動を起こす時、私はまず「相手がどう受け止めるか」ばかり考えてきた。
「人を傷つけたり、不快にしてはいけない」と肝に銘じて生きていた。例え、それが自分の感情や価値観に蓋をしたとしても、相手の幸せになればそれでいいと思ってきたけど、結局行き着いた先が「悪魔に心を売り渡す」といって、人を恨むことでエネルギーを得ようとしている。
それでは何も生まない。戦争だってそうだ。人を恨むエネルギーほど強いものはないが、心を蝕んでいく。
神様。いますか。私、間違ってばかりです。でも、生まれて母親になりました。娘の障害って本当おもいがけないことで。受け止められずにいます。強い心が欲しいです。でもそれは与えられるものではなく、自分で作っていくものだと思います。作れるか自信がありません。でもやるしかないのですね。私の背中を押してください。