息子の不登校が解消して半年経過する。

 

2月に嘔吐症になったのでもうすぐ1年、色んなことがあったなと思う。

 

私が息子の不登校で一番イライラしたのは、「学校に行かない(行けない)」ことではなく、「学校に行かないのに、自分のわがままを優先しようとしたり、YouTubeを見て、暇になったら相手してほしい」という態度だった。

 

わがままと判断したことに対して、発達外来のお医者さまから「厳しいお母さんですね。お子さんの気持ちになってあげてください」と言われて、「私、間違っているの?」と毎日、自問自答した。

 

娘は保育園に行っているのに、一緒にマクドナルドにいったり、ポケモンGoをしたりしてると、「母の受け止めるって、甘やかすってこと?」と毎日思い悩んだ。

 

人それぞれあるから、どれがいいとか、ましてや「学校に行ける」からいい、というものではないけど、今、振り返って思うのは私がどんなことに対しても、「うちの子ならできるから大丈夫」と心の底から信じることができていかなったのではと思う。

 

いつも「うちの子は優しいからきっと辛い。きっと無理している。」と私が前もって心配し、不安になっていた。息子は敏感だからずっとそんな私の不安に触れて成長してきた。

 

ましてや学校や園では今の時代、「できなくてもいいんだよ」、「そのままでいいんだよ」、「ゆっくりでいいんだよ」というプレッシャーをかけない優しさが当たり前になり過ぎていて、私が家庭で守り、外でも「できるからやってみよ」、「一つ上を目指してみよう」と親以外から期待をかけられることも息子は少なかったと思う。

 

元々の性格とそうした環境が合わさって息子は不登校になっていたのだと思う。

 

私が何も言わない、しなくなってから、息子は自分で前向きな発言をするようになった。

何もしなかったので、たくさん忘れ物もさせたし、失敗もあった。

 

泣きじゃくりながら訴える息子を見て、「手伝ってやりたい」「助けてやりたい」「大丈夫」って抱きしめてやりたいって何度も思ったけど、それは本当に息子のためになるのか考えて、我慢した。

 

自分で泣き止み、気を取り直して前を向く息子の姿を目の当たりにした時、「あぁ。私が息子のこの力に蓋をしてきたのだな」と思った。

 

 

また不登校になりました。って報告をするかもしれないけど、今は息子が自分で壁を越える姿を目にできて、感動している。

 

そういえば、私自身もそうやって、自分で壁を越えてきた。

 

どうすべきか考えて、動いて、越えた壁は何よりも自分の力になっていると思う。

 

「できなくてもいいよ」って優しさだと思っていたけど、「君ならできるよ」って背中を押すことも優しさと、今は思っている。

 

 

 

 

 

 

枕、ニトリが好きです。