昨日、娘の言語の発達遅延について発達支援センターで相談する機会を得ました看板持ち

自己紹介もなく、どういう資格の方が聞きそびれましたが、市内の学校を回っているカウンセラー?の方(また確認しますね)が相談にのってくださりました看板持ち

 

娘は表出性言語障害(理解はできているが、言語として出てこない)だと思うと。あまり、お医者さんは診断しないけど、外国ではそう診断されることが多いと。

 

私は娘が言語を理解できている??と思ったのだが、簡単なことなら理解していると感じるので広義の意味で捉えたら表出性言語障害なのかなとも思う歩く

 

娘の発語に必要なことは?との質問には

 

視覚優位だから、視覚から入る情報の方が処理しやすい、将来的には書くことの方が得意かもしれない。そして、当たり前だけど、「一緒にご飯を食べる」、「規則正しい生活をする」かなと言われた。障害は病気じゃないからね。治すというのではなく、本人の困りごとを理解してサポートする、周りが障害について理解することが大切。

 

また頭を殴られたような衝撃。

 

STとかOTとか民間療育とかなんか色々あるけど、家庭にとって大事なことって、「当たり前のことを当たり前にする」ことかもしれない。一緒にご飯を食べて「美味しいね」と言う、公園に行ったら一緒に楽しむ、家族で笑顔の時間を過ごす、そして、娘の困りごとを減らせるようにサポートし、周囲に理解してもらえるように説明する。

 

色々話す中で、娘は人が好きだし、園でも楽しく過ごせているならとてもいい傾向だという話だったのだが、ふと話した息子のことの方が先生にはとても心配だと言われた。

 

息子の私に対する態度(連絡帳の件)は、「大人をきちんと見ている」「大人はできていない」という意志の現れだし、学校ではとても品行方正だということは、「(自分を殺して)大人が望む振る舞い」をしているということ。そういう子は高学年になるともっとしんどさを感じるし、「生きているのが辛い」ということもある。

 

息子自身が「自分の性格の特性を理解する」ということをしていくことが大切だと言われた。

 

息子はきっと自分がどうすれば楽になるのかわからないかもしれない。親、学校、友達、いろんな価値観の中で揺れ動きながら苦しんでいるのかもしれない。

 

娘のこと、息子のこと、どうするべきか、何を信じてやっていくのか、親として色んな機会を通じて学んでいる。

 

息子が大きくなった時、「死にたい」なんて言わせたくない。

 

息子に苛立つとき、少し立ち止まって考えてみたい。