あんまり親しくない人の方が悩みを吐露しやすかったりする
たまにしか会わない関係者に娘の障害について辛いと話したら、その人が、高校生くらいから母親の介護をしていたことを話してくれた
若い時期から苦労されていたなんて知らなかったと話したら
辛い時は戦争映画を借りて見て、これよりマシと思っていた。と笑いながら話してくれて、
流れるように「幸せの総量は決まっていると思っているから」と付け加えてくれた。
「そんなことないですよ」って言いたかったけど、何も言えなかった。
私がキラキラした青春を送っていた時、彼女は母親の介護をしていたし、自由そうに見える今も、実家の手伝いをしている。
30代前半の彼女の口から「幸せの総量が決まっているから」という言葉はとても重く私の心に響いた。
結婚されているのに、子供がおられないのもそうしたこともあるのかなと余計な詮索が頭を巡る。
幸せの総量って決まってるんだろうか。
いや、決まってないはず。決まってないと思って生きてきた。決まってるって言われたら、私にはこの先、幸せは訪れないと思えてしまう。
でも彼女は総量は決まっていると自分に言い聞かせて生きてきた。
それが彼女の強さになった。
試練の捉え方は人それぞれ。やっぱり当事者にしかわからない気持ちがある。
彼女がいつか総量なんて決まってなかったと思ってくれるといいな。
私もやっぱり総量なんてなかったって言いたい。
自分次第なんかな。