皆様からのアドバイスのおかげで、何とか平常心で息子を毎朝、教室まで送り届けていますにっこり

 

今朝も集団登校の場所に行く途中で、行けなくなったと戻ってきましたが、そこに泣き顔はなく、私も、「オッケー!泣かずにそこまで行けたらなら良かったウインク」と心から言えました看板持ち いつまで続くのか、私の気持ちもプツッと途切れる日もあると思いますが、対応していきたいと思います看板持ち

 

今月、息子の学校で音楽の発表会があるのですが、今まで仕事で見に行けたことがないので、「楽しみやな〜飛び出すハートステージの上やから見つけられるかな〜ラブ」と聞くと、息子が

 

「大丈夫やで。僕だけ机やから昇天

 

何をおっしゃっているのか?? 詳しくきくと、ピアニカをみんなは起立した状態でやるが、自分だけ机上でやるというものガーン

 

私は心の中で、「恥ずかしくない?」それは、親にとっては、世に言う公開処刑だよ。お兄さん。と思うのを飲み込んで、

 

「そりぁ。わかりやすくてありがたい。で、机は誰が出し入れすんの?」と意味不明な言葉しか出てこなかった。

 

息子の中にはそれが恥ずかしいという意識がない。

 

私はそれを恥ずかしいこととして認識してる。親として恥ずかしい。みんなと同じことができないから恥ずかしい。努力してないから恥ずかしい。

 

他のお子さんなら、「いいと思いますよ。苦手なことをきちんと認識しておられて良いですね」と言うのに。自分の子供だと本音がでてくる。

 

今は一周回って、「息子らしくて素敵だと思う」

 

無理してやる、根性出すのが良いわけじゃない。みんなと違っても何も感じない、今の感覚のまま育ってほしいと思う。自分は自分なのだから。

 

一方で、私は、ある時は障がいがあるけど「平等」に扱ってほしいと思ったり、障がいがあるから「公平」に扱ってほしいと思ったり、忙しい思考の持ち主だなと思う

 

息子や娘は私の中の見えない差別意識まで炙りだしてくれる

 

40歳でも気づけてよかった