娘は自閉症の診断を受けるために、小児科の発達外来に2回受診しています。

 

女医さんで話しやすい方なのですが2回目の受診の際に娘の保育園での発達検査でのエピソードをお話ししました⇩

 

それは、検査で出てきた小さなワンちゃんの置物(コップの中に入れて、どこにあるか当てる検査)で、可愛いものが大好きな娘は「じっーと見て」、スタスタと歩き出し、自分の登園したリュックを私に持ってきて、「開けて」の仕草。

 

リュックを開けるとその置物を入れて、「背負わせて」の素振り歩く 背負わせると、検査の教室から出て行き一言

 

「ばいばーい」歩く

 

結局、引き止めて、置物は私がわからないように臨床心理士さんにお返しし、検査再開できました。

 

臨床心理士さんは娘が以前は検査ができないほど泣いていたのに比較すると、今は落ち着いているし、行動も高度になっていますねと言っていただき、私も「リュックに入れて持ち帰る」という行動は成長の表れだと(走って逃げなかった)思ったのですが、女医の先生は一言

 

「それは泥棒ですね。」

 

「私ならそもそもリュックに入れさせません」

 

「ガーン」絶望絶望絶望絶望

 

娘は3歳で泥棒になってしまった。しかも、悪気なく私の行動を否定してるように思う。

 

 

善悪の区別がつかない。

 

障がい者が社会で生きて行く上で、直面する課題なのかと落ち込みました。

 

これから療育で学んでいくので見守っていきたいと思うが、

 

この時点でお医者さん(お子さんおられる)にそう言われたら、世間一般の人も障がい者の人をそう見るかなとも思いました。

 

一言言いたくて飲み込んだ言葉、

 

「先生のお子さんは定型発達児ですか?」

 

「私なら」は「医師」として、それとも「母」として?それとも「両方」ですか?

 

言葉って難しい。

 

書くのも、話すのも怖くなってきます。