山から住宅地に戻って、すぐに図書館に行きました。
住宅地は、人が群れているけれども孤独です。
道ですれ違う人と、「こんにちは」と快く声をかけ合っても、それは「あなたに敵意はありませんよ。」という証明にすぎず、互いの心に立ち入るレベルのものではありません。
人々は、うっかり本音を語って足元をすくわれないように、無駄口を叩かなくなったのでしょうか。
曽野綾子さんの本を6冊借りてきました。
本当は「それぞれの山頂」という本を借りたかったのですが、それだけがありませんでした。
「幸せの才能」「生きる姿勢」「人間の基本」「自分の財産」「生きるための闘い」「ないものを数えず、あるものを数えて生きていく」の6冊をかりました。今週の楽しみは曽野さんに委ねます。
昨日2さつ読みました。私は曽野さんの本が好きです。
明るさと前向きさがあるし、何より読み易い。読んでいると元気も貰える。
曽野さんは、1931年東京に生まれ、聖心女子大学を卒業するまでエスカレーターで進んだそうです。
金と病気と異性で苦労しなくちゃ一人前の小説家と認めて貰えないような時代に、お金にも健康にも旦那様にも恵まれて生きて来た人なのだそうです。
普通そういう人の文章は面白くないはずなのですが、私にとっては面白いし、共感したり学んだりすることがたくさんあります。曽野さんはキリスト教徒なので、聖書から引用される言葉も多く、心が洗われることもあります。
「鈍感さによって不幸をさして辛いと思わない人は、一見 得をしているようにも見えるが、幸福を感じ取る敏感さもないだろう。
幸福を感じるのは、不幸を感じるのと同じくらい感性の問題だ。深く幸福を感じる人は、また強く悲しみも感じる。
一見 反対に見えるその感情の滋味は、どこかで繋がっているようである。」
「幸せを感じる能力は、全ての人に備わっていて、しかも自分で開発可能な資質なのである。
今の日本に暮らしながら、幸せを感じられない人は、どこか幸せを感じる機能が壊れている。」
これは、昨日読んだ2冊の中に書かれていた文章です。
私は、感受性が強い。長い間、それは不幸なことだと思い続けて生きてきました。
この感受性さえなかったら、もっと楽に生きていけるのに・・・と思っていました。
でも、この文章を心に刻み込むことで、生き方を変えられるような気がしてくるのです。
生まれついて頂いたこの感受性を逆手にとったら、もっともっと幸福を感じとれる。
自分自身で開発することで、さらに幸福を感じとれる。
そんなふうに気持ちを切り替えられそうに思えるのです。