オプトの歴史と逸話41~主幹事争奪戦  | オプトHLD CEO 鉢嶺登 オフィシャルブログ

オプトの歴史と逸話41~主幹事争奪戦 

この頃、上場に向け「主幹事選定」を行なった。

まだFAX事業を行なっていた頃から上場を目指していたため、その頃から接触があったのは野村証券。従って、当初は野村主幹事が規定路線であった。しかし、残念ながら当時の野村証券はネット業界に消極的であった。これは社の方針だったのか、部の方針だったのか未だに分からない。

すでにヤフーや楽天、CAなどが上場を果たしていたが、いずれも主幹事は大和。丁度、ネットバブルがはじけた後でもあったので、尚更、野村は消極的だったのかもしれないが、その姿勢に徐々に不満が貯まる。知人のネット企業を紹介しても野村は主幹事獲得に本腰を上げなかった。

そんな野村を尻目に、大物ネット企業の主幹事は大和が次々獲得し、中堅ネット企業主幹事は新光証券(現みずほ証券)が獲得していった。新光証券にはデジタル情報産業部なる部署があり、時政さんという名物部長さんがいらした(現渋谷支店長)。時政さんをネット業界で知らない人はいないぐらいで、新光も次々幹事を獲得していった。ちなみに時政さんを紹介して下さったのはヤフーの井上社長である。

主幹事の野村の腰が上がらない中、他の証券会社からの主幹事獲得営業は強くなった。そんな時、いちよし証券の営業責任者に田名網氏(現副社長)が野村証券から転じてきた。野村で鍛えられた営業力は凄かった。例えば深夜まで働くオプト社員向けに何度もオロナミンCの差し入れをしてくれるなど、根気良く誠意を見せ続けてくれた。

何と言っても、田名網さんがいちよしに転じてからの「1号案件にしたい!」という言葉が刺さった。体制、知名度には不安があるが、社を上げて取り組んでくれる方が良いかもしれない。徐々に気持ちは固まった。

野村さんには事情を説明し、今までのご縁を考慮し副幹事になって頂く事で快諾頂いた。当時の次長さんもネット業界に力の入らない自社方針に申し訳なさそうであった。こうして、主幹事いちよし、副幹事野村という上場に向けての体制が決まった。