オプトの歴史と逸話26 ~ネットバブル崩壊と裏ビットバレー (2000年3月) | オプトHLD CEO 鉢嶺登 オフィシャルブログ

オプトの歴史と逸話26 ~ネットバブル崩壊と裏ビットバレー (2000年3月)

マザーズ上場第1号のインターネット総合研究所の売上高は7億円。経常利益7000万円。公募価格は1170万円であったが、初値は5300万円。時価総額は7001億円。2000年1月にはヤフーが1株1億円を突破。ソフトバンク、光通信、GMOなど名立たるネットベンチャーが皆時価総額1兆円を突破した。

2月には六本木のディスコ「ヴェルファーレ」でビットバレーの総集会が開催され、2000人超の人でごった返した。ソフトバンク孫社長がダボス会議から自家用ジェット機で到着すると最高潮に。その後も3月にクレイフィッシュやサイバーエージェントが上場し100億円以上の資金調達に成功。

しかし、その直後、文芸春秋で光通信の携帯販売偽装疑惑記事がきっかけとなりネット企業の株価は急降下する。1兆円あった時価総額は軒並み100億円前後まで下がる、まさにジェットコースター。

上記が主なネットバブルで起きたこと。今となっては懐かしい。

私の記憶では1998年後半にネットエイジの西川さんの呼びかけが始まり、99年初めにビットバレーが始まったのが契機であったと思う。当時メールで発信される西川さんの考えは斬新かつワクワクしたもので、共感する人がどんどん増えていった。そして、ビットバレーの集まりが始まるが、徐々に有象無象の人が集まるようになっていった。これは西川さん自身も望んでいたことではなかったため、密かに「裏ビットバレー」なるものが結成され少人数で集まりはじめた。

裏ビットバレーのメンバーはネットエイジ西川さん、楽天三木谷さん、ガーラ菊川さん、バリュークリックのジョニーなど。その後、時期は前後するが皆上場する。異常な雰囲気に違和感を感じていたメンバーが集った訳だが、やはりバブルは続く訳もなく崩壊した。
地に足着けて、明確な夢と着実な実行。
一時ではなく長続きするには、当たり前だが必要なことである。