オプトの歴史と逸話⑭~資金繰りとの戦い | オプトHLD CEO 鉢嶺登 オフィシャルブログ

オプトの歴史と逸話⑭~資金繰りとの戦い

~⑬はこちら~

創業から2000年までは資金繰りに苦労する毎日であった。
ここでまとめて 資金繰り について書いてみたい。

創業時は資本金300万円。
最初の借入は忘れもしない国民金融公庫から100万円。
確か政岡さんというご担当者に何度も足を運び、熱意を語り、
それでようやく融資を受けることができた。
たった100万円であるが、創業当時ワンルームマンションまで視察に来ていただき
融資頂いた時はとても嬉しかったものだ。

翌95年、当時としては珍しい
スタートアップベンチャーに投資するベンチャーキャピタルJIC
(パソナ南部さん、ソフトバンク孫さん等の声掛けではじまった
http://www.nambuyasuyuki.com/history/02.php
から500万円の出資を受け、
自らも母や姉に200万円を借りて出資し、
1000万円の株式会社に。
一方で住友銀行(最初のご担当者は勝山さん)等、都銀と付き合うようになり
96,97年で数千万円(保証協会融資枠)を借りられるようになった。

97年は山一証券や拓銀が倒産するなど大不況期。
周囲でも知り合いのベンチャーの倒産が相次いだ。
当社も丁度FAX事業からネット事業へ転換を図る途上であり、
資金繰りが最も厳しい時期であった。
銀行と何度も交渉し、保証協会枠をフルに活用し7000万円程度借入したように思う。
それでも足りず、知恵を絞りたどり着いたのが中小企業支援助成金。
PCを買ったり、社員を採用したりした際申請するとお金がもらえる制度である。
ありとあるゆる助成金を調べ上げ申請し、なんとか社員の給与を払うことができた。

ちなみに過去社員の給与遅配は無いが、役員の給与遅配は2度ある。
1度目はこの時、2度目は99年にやってくる。

97、98年の不況を何とか乗り越えると、
事業はネットにシフトしており、
99、2000年のネットバブルが迫ってくる。

ここで大失敗をしてしまう。

98年当時、今後ネット大革命時代がくることが分かりワクワクした。
あらゆる業界がネットで変革を余儀なくされる。
であれば、まだ皆が本格参入しないうちにできる限り投資しようと考えた。
米国ではネットバブルが95年から4年も続いていたので、
日本でも今後長期の資金調達バブルが始まると踏んでしまったのだ。
(実際には99年に始まったネットバブルは2000年4月には崩壊)
そのためには資金が必要だが調達コストを考えると借入金利はわずか2-3%。
VCからの出資を受けて数年後にIPOした場合を金利換算すると
調達コストは40%相当だったことから、
銀行から借りれるだけ借りて投資してしまった。

結果、スタートアップは黒字化に時間がかかり、決算書は真っ赤。
世の中はネットバブルに突入し、
企画書だけで億単位で出資が決まるベンチャーが出始めていた。
我々も50社近くのVCを回ったが、
あまりに悪い決算書もありなかなか出資が決まらず、
2000年9月にあと数カ月で資金ショートと言う段まで来てようやく出資が決まった。

「運転資金は借入、投資資金は増資」
との学びはこの時に得た。

その後は順調に業績が伸びていったため資金繰りの苦労はなくなったが、
まさに創業から数年は資金繰りとの戦いであった。
また、家賃やコピー機などリースを活用する度に個人保証は絶対。
銀行借入と共に個人保証の額は1億円をはるかに超えて行く。

先日某ネット業界勉強会で40歳以上の上場経営者と
20,30歳代の若手経営者とディスカッションした際、
40歳以上経営者は全員「個人保証の借入経験者」である一方、
若手経営者は約20人中1人しか個人保証借入経験者がおらず
カルチャーショック
を受けた。

かつての創業とは、
資金繰りとの戦いであり、
個人保証は当たり前であった。

経営者仲間で悩み相談する大半は資金に関するものであったもの。
それが、特にネット領域ではクラウドやプラットフォームに代表されるように
創業資金がごく僅かで賄えるようになり、
借入に頼らずとも創業できるようになっていることを実感した。

資金繰りに悩まずに事業のことだけを考えられる今に感謝し、
甘えることなく邁進したい。

~⑮へつづく~