オプトの歴史と逸話⑫~初の中途採用投資(1996年)
~⑪はこちら~
新卒採用が決まると、
もはや原宿のオフィスにはスペース的に入れない。
3つ目のオフィスとして選んだのが
丸ビル
(※と言っても、オーナーが丸様の赤坂の丸ビル)。
振り返るとこのオフィスには
一番長居することになってしまう(1999年まで)。
このころには
「FAX開拓君」
「宴」
という商材に加え、
「開拓君スーパー」
も主力商品になっていたと思う。
これはこばが発案したサービスで、
FAXDMを送った後に、
テレマでフォローするというセットサービス。
効果も非常に良く、よく売れた。
そして、遂に中途採用広告という大型?!投資を決断する。
確か、
アイレップの高山社長
と
ファインドスターの内藤社長
(2人ともリクルートエージェント出身)
と採用について色々語り、
教えてもらっていたことが原因であった。
そして、
どうせ投資するならNO1メディアの
リクルート「Bing」の見開き広告180万円が良い
とアドバイスをもらった。
Bingには小さな広告枠もある中で、
設立2年の無名ベンチャーが
見開き広告を打つなど珍しいし、
当時のオプトの収益を考えると
清水の舞台から飛び降りる・・・ぐらいの気持ちであった。
起業動機のエジプトの話
や
企業哲学、
将来の夢
を語った秀逸なクリエイティブであった。
未だに鮮明に覚えている。
結果約100名もの応募が殺到し、
気合いを入れて全員と面接を行ない3名を採用した。
そのうち2名は
成瀬くん(現ホットリンクCOO)
と
関さん(現人事部)
である。
今振り返ってもすばらしい採用ができたと思う。
1996年3期目の売上は7800万円。
利益は数100万円であった。
創業から5,6年は全ての利益を人に費やしたように思う。
多少多めにでも優秀な人材を採用し続けたことで、
あとで選択と集中ができたし、
ベンチャーにしては優秀な人材ばかり
と言われたゆえんでもあったと思う。
一方で、
「FAX開拓君」により、売上は毎期増収で4億円まで伸びていく。
ただ、FAXだけでは売上規模は10億円が限度であり、
これでは株式公開できないと暗澹とする思いも募るのだった。
~⑬へつづく~
新卒採用が決まると、
もはや原宿のオフィスにはスペース的に入れない。
3つ目のオフィスとして選んだのが
丸ビル
(※と言っても、オーナーが丸様の赤坂の丸ビル)。
振り返るとこのオフィスには
一番長居することになってしまう(1999年まで)。
このころには
「FAX開拓君」
「宴」
という商材に加え、
「開拓君スーパー」
も主力商品になっていたと思う。
これはこばが発案したサービスで、
FAXDMを送った後に、
テレマでフォローするというセットサービス。
効果も非常に良く、よく売れた。
そして、遂に中途採用広告という大型?!投資を決断する。
確か、
アイレップの高山社長
と
ファインドスターの内藤社長
(2人ともリクルートエージェント出身)
と採用について色々語り、
教えてもらっていたことが原因であった。
そして、
どうせ投資するならNO1メディアの
リクルート「Bing」の見開き広告180万円が良い
とアドバイスをもらった。
Bingには小さな広告枠もある中で、
設立2年の無名ベンチャーが
見開き広告を打つなど珍しいし、
当時のオプトの収益を考えると
清水の舞台から飛び降りる・・・ぐらいの気持ちであった。
起業動機のエジプトの話
や
企業哲学、
将来の夢
を語った秀逸なクリエイティブであった。
未だに鮮明に覚えている。
結果約100名もの応募が殺到し、
気合いを入れて全員と面接を行ない3名を採用した。
そのうち2名は
成瀬くん(現ホットリンクCOO)
と
関さん(現人事部)
である。
今振り返ってもすばらしい採用ができたと思う。
1996年3期目の売上は7800万円。
利益は数100万円であった。
創業から5,6年は全ての利益を人に費やしたように思う。
多少多めにでも優秀な人材を採用し続けたことで、
あとで選択と集中ができたし、
ベンチャーにしては優秀な人材ばかり
と言われたゆえんでもあったと思う。
一方で、
「FAX開拓君」により、売上は毎期増収で4億円まで伸びていく。
ただ、FAXだけでは売上規模は10億円が限度であり、
これでは株式公開できないと暗澹とする思いも募るのだった。
~⑬へつづく~