オプトの歴史と逸話⑤~設立、VC投資(1994年) (2010.12.12) | オプトHLD CEO 鉢嶺登 オフィシャルブログ

オプトの歴史と逸話⑤~設立、VC投資(1994年) (2010.12.12)

~④はこちら~

1994年3月4日ついに会社が登記された。

研究会メンバー5名から、無け無しの300万円を集め有限会社デカレッグスを設立した。
デカレッグスとは
「10本の足」
という意味で5名皆で歩んで行こうとの思いからつけられた。
登記作業はお金が無いこともあって自分で行なった。
同じ社名が絶対ないことを優先したこともあって、今考えても変な社名である。


実際の会社スタートは5月の連休明けからだった。
5名のメンバーが勤務先から来やすい場所ということで
六本木防衛庁(現ミッドタウン)裏の秀和赤坂レジデンシャルホテル
を選んだ。
家賃は管理費込みで8万円のワンルームマンションだが、
1階に応接スペースがあり自由に使えるのが魅力だった。
ここで商談すればコストは最小限に押さえられるし、
会社が小さなことも相手に分からない(本当は皆分かったはずだが)と考えた。
オフィス機器等全て中古を集めた。


基本理念作りも重要な作業となった。
森ビル時代の良い点は頂戴し、悪い点は反面教師とした。

例えば弊社の基本理念の1つになっている
「先義後利」
は、森ビル創業者森泰吉郎氏の考え方を継承したものであり、
「まず社会や顧客に貢献すれば、利益は後から自然に付いてくる」
という考え方である。

一方で
年齢、性別、学歴、職歴等に関係無く、
やる気と実力のある人材を積極的に登用する、
いわゆる実力主義は
自分自身が若かった時の年功序列体系への不満として導入した。


また雇用主と労働者という関係もどうもしっくりいかなかった。
社長と社員はパートナー
であり、
皆が自律して、生き生き働き、
利益はがんばった分に応じて分配する。
自分の分は自分で稼ぐという意識=ぶらさがり社員がいない、
社員1人1人が自ら工夫し、
判断し、
行動まで移せる、
・・・そんな自律社員の集合体にしたいとの思いから
「1人1人が社長」
をアクションスローガンにした。


会社はIPOを目指す事に決めていたので、
創業してすぐに複数のベンチャーキャピタルに接触した。

しかし、当時は設立すぐの会社に投資するVCは少なく、
ようやくJIC(パソナ南部さん、ソフトバンク孫さん、マルコー金澤さんが設立)に出会った。
ちなみにJICの支援を受けた仲間には
ディップの冨田社長

ベネフィットワンの白石社長
などがいる。


幸いJICに応援いただけるところまできた。
しかし、まだ収益モデルすら実証できていない段階で資金を得ることは安易な道へ進むことと考え、
1年間私の動きを見てもらうことにした。
その結果、翌年5月に晴れてJICから出資いただくことになるのだが、
後日責任者の小出さんになぜ出資いただけたのか聞いたところ
「どんな状況になっても逃げそうにないヤツ」
と思ったからだそうだ。

確かに非常に重要な観点である。
私は一生かかっても返そうと覚悟していたが、
実際ベンチャー仲間には夜逃げしてしまう社長もいたからだ。
夜逃げは良くないと思う。
二度と表舞台に戻れないからである。
それなら正々堂々破産して、一旦は謝り復活に賭けるべきであると思う。
実際ベンチャーで成功した社長には過去会社を倒産させている方も多い。


パソナの広報でもあった小出さんには、
広報の豊富な手法も教えて頂きとても感謝している。
そのかいあって、創業間もないベンチャーにも関わらず、
マスコミの取材も数多く受けるようになった。
中でも日経産業新聞と週刊ダイヤモンドにはじめて記事が載った時や
テレビ東京のワールドビジネスサテライトで放映された時の喜びは
今でも鮮明に覚えている。
ちなみにワールドビジネスサテライトの起業家特集で
一緒に取材された
プランドゥシーの野田豊加社長
とはこの時からの縁であるし、
週刊ダイヤモンドの起業家特集で当時挙げられた起業家は
牛角の西山社長(当時はまだ不動産業だった)

日本駐車場開発の巽社長
等で、3人ともまだ売上1億円程度の起業家であり、
その後3人とも上場したことを考えると、
さすが週刊ダイヤモンドの目利き力である。



次回はどのようにして、FAXマーケティングで事業を立ち上げたかの話をしたい。

~⑥へつづく~