途中からだけど見ている朝ドラ虎に翼。

寅子の夫が亡くなって

夫の死を悲しんで。

夫の優三さんの優しかったこと。とても優しく、寅子と心を通じ会わせていて、お互い大切に思いあってることもとてもいいなぁと…感動して。

そういう素敵な‘’愛‘’の形を見ると

感動して涙が出るのと、

私にはないことが悲しくて涙が出るのと、

他の女性は旦那からこんなに大切にされているの?との嫉妬や羨みから涙がでるのと…。

でも、自分にはないから妬む気持ちがあるのに、やっぱり素敵な‘’愛‘’には心を動かされる…。



ドラマの時代背景から考えると、非常に不謹慎なことなんだけれども、戦争、の時代背景を一旦おいておいて、私が勝手に考えたこと。(戦争で夫や親兄弟を亡くされたかたからしたら、以下の私の文章は許せないかもしれない。あくまで、私個人が旦那に対する感情をどう考えるか、という話。不謹慎な話をごめんなさい。)


とら子が悲しんでいて、それを見ながらふと思ったのが、

私は、恐らく(酷いこと言うけど)旦那が亡くなってもここまで悲しくはならないだろう。

とら子は優三さんが大切でたまらなかったから、すごく悲しい思いをしている。


私は…酷いこと言われたり、されたり(自閉的な特徴で)気持ちを共有してもらえなかったり、

私のことを大切には思ってないからできるんだな、と思わされることばかり。

それが地味にやっぱり悲しくて。

屈辱で。

腹立たしくて。

怒りもあって。


で、気づいたのが、私はとら子みたいに旦那が亡くなることでは悲しい思いをしなくてすむ。

もう大事じゃない人だから、その大事な人を失う怖さとか悲しさはない。


ということは、なんだかある意味、悲しむことは本来より(?)ひとつ減ってるというか。


昔、年上旦那さんのことを大好きな友達が、本気で自分より先に死なれたら(旦那が)本当に悲しい、もう生きていけない。

と言う、話を聞いたことがあったけど、

そういう人は、本当に辛いと思う。考えただけでも辛そう。


でも私はその悲しみや辛さからはもう解放されているんだ(見方を変えてみて。プラスに考えてみる。そういう、考えをすることが悲しいんだ、とか今は思わないようにする。)


大丈夫。強く生きていける。