今、所謂スピリチュアル界隈では引き寄せ、とっても流行っていますね。


自分が世界の創造主。


思ったことが投影される。


望んだ通りに生きられる。


などよく言われていて、ポジティブに物事を考えることが大事とも言われています。


このことから、明るく前向きで平和で優しく、何といってもお金持ち乙女のトキメキコインたち札束ゆめみる宝石なイメージをとにかく持とうとされる方も多いのではないでしょうか。


その反面、良くない思考をしていると本当にそのような物事が起きるとも言われていますね。


今回はそのような経験をシェアしたいと思います。


私は毎日のようにライブ配信をしています。


先日のライブ配信でのこと。


久しぶりに相互フォローしている配信者さんが遊びに来てくださいました。その配信サイトでのお友達のようなものです。


私とゲストとしてコラボに上がってくださったAさんとBさんと3人で話すことになり、話題からエゴサして名前を検索していたところ、、、


某SNSで私の名前が書かれてた!ポーン


所謂「晒されてた」ことになります。


しかもご丁寧にIDつきなので、同姓同名の別人だとか人違いのしようもないものでした。。ゲロー


そこは昔の2ちゃんねるのような場所で、書かれることはだいたい悪口や影口。嬉しいものではありません。


実際、書かれていた内容も嘘でしたし。ムキー


Aさんの愚痴に付き合い、Bさんがご自分の名前をエゴサして、ついでに見つかったのが私の名前だったと思いますが、内容は私のついでにBさんの名前があるという流れでした。ゲローゲロー


私の名前は2箇所で書かれていて、それなりに驚きました。


そりゃあね、ブログ書いたり配信もしてたら、人気も欲しいし有名にもなりたい。即ち儲かるのですし。


結果は2ちゃんねるで言うところの「便所の落書き」でちょっと書かれただけでした。


しかも、本当に大した悪さもしていないからか、書き込まれた時期は(思い起こせば)少しだけ閲覧人数(訪問者の数)が増えていましたが、配信スタイルなどの傾向と対策からか、対処しきれないほどの荒れ方もしないで済んできました。


皆さまなら2ちゃんねる(のような場所)で名前を書かれたら、どんな気持ちになりますでしょうか?


ここまでは悲しい引き寄せかもしれません。


でも、見つけた時期がずっと遅かった。


書き込みは去年の年末と今年3月の末頃で、私の感想も「あ、そんな前なんだ?」でした。


昨日今日書かれたものなら、何か悪いことを言ったかなとか今日からの配信どうしたら良いんだろうとか、狼狽えもしたかもしれませんが、新しい書き込みでも3月末となると、書かれる心当たりがあったところで、もうどうしようもない日数が経過しています。


もう、終わったこと。何をした覚えもないけれど。。


それだけでした。


ここからが良い引き寄せと思えることです。


AさんもBさんも配信者ですし、親身にお付き合いくださいました。


IDまでさらして悪質であること、そこまでするのはアンチであろうということなど一緒に分析してくれました。


でも配信者らしい一面も。


「デビューおめでとう👏🎉」デレデレ笑ちゅー笑


そこに書かれるのは売れっ子になる登竜門なのだそうです。


書かれない人は所詮売れないとのことでした。


そういう捉え方が出来るなら、この引き寄せはけっしてマイナスではないことになりますね。ウインク


他人にされること、預かり知らぬ何かがもたらす働きかけは、私にはどうしようもないことです。


ここを読んでいるあなたも、当事者としてどうにもならない事象に見舞われ、困惑することもあるのではないでしょうか。


でも、それをどう捉えるか、どのように対処するかは、された当事者側が決めることです。


泣き寝入りするのも、腐るのも、気にせず邁進するのも、振り返って改善すべきはするのも、言ってみれば当事者の勝手です。


今回は私がどれを選択して勝手を通すかという話になりますが、今更な時期に知ったので改善は(私が悪いとされる心当たりがあるかはともかく時期として)遅くても、落ち込むのか気にしないぐらいは決められます。


決定。どうでもいいわニヤニヤ笑飛び出すハート


皆さまも、「とりあえず今どうする?」ということから決めてみるのはいかがでしょう?


  • とりあえず今は、取り乱さない。
  • とりあえず今は、忘れる。
  • とりあえず今は、相手の言い分を聞く。
  • とりあえず今は、泣かない。

誰だって不意に転んだらびっくりして「え!?」ってなりますし、膝でも打ったら痛いですし、人前で転んだら恥ずかしいですし、そこで笑われたら怒りや悲しみも味わいます。


でも、転んだ次に「とりあえず今は」独りでも起き上がるのか、誰かが起こしてくれるまで駄々を捏ねるのか、泣くのかは転んだ人が決めることなのです。他人に委ねることではありません。


たとえその転倒が、誰かに突き飛ばされたことだとしても。


ここまでお読みいただきありがとうございます。励みになりますので応援よろしくお願いいたします。