「映画をめぐる美術ーマルセル・ブロータースから始める」
2014 4/24~6/1
東京国立近代美術館
好きなもの、好きな雰囲気、好みの味、好きな音楽…
好きということは捉われるということでもある。
そして好きということに浸る時間や空間や経験は常態化し、緊張感を失わせ、
飽きを招く。
飽きるという感覚は、生きることに面白味を感じなくなることであり、
気力を失わせるということである。
あ~~あ~ダウンワードスパイラル…
数か月前に見た展覧会。「映画をめぐる美術」という名前の催事ではあったけれど、
別にハリウッド映画で使われた美術などが並べてあるわけではない。
企画者によれば「映画を読む」という作業を並べたものだ。
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
では、ここで言う「映画を読む」とはどのような行為か。
(中略)
普段は当たり前過ぎて気にも留めない言葉やイメージが、不透明で見慣れぬ、
ノンセンスな物として立ち現われてくることがあります。そのような事態を前に、
私たちは、言葉とイメージの間、言葉と言葉の間、そしてイメージとイメージの間を跳躍し
自らそこに接続線を引くような行為、すなわち映画を「読む」ことへと誘われていきます。
~~~~~~~~~「映画を読む」チラシより~~~~~~~~~~~~~
何人もの作家によるそれぞれの映画を読む行為の展示。
印象的なものはいくつかあったけれど、アル・パチーノの「狼たちの午後」
が好きな私は、ドミニク・ゴンザレス=フォルステルの作品が一番頭に残った。
実際に1972年にニューヨークで起こった銀行強盗の事件を、社会派シドニー・ルメットが
映画化した「狼たちの午後」。アル・パチーノを深く印象付けた一作。
ドミニク氏の作品では1972年の実際の事件についての新聞記事や雑誌の切り抜きが展示され
ており、その奥の広い横長のスクリーンでは、実際の犯人(今はでっぷりした白髪の老人)が実際どのように銀行に押し入り、どこに立ち銃を構え、どのように人質を奥に誘導したのかを
カメラに向かって語りかけている。
その映像と並列して、その場面を描写した「狼たちの午後」の映像が同時進行で流れている。
過去の事実として語られるものと、その時事実を忠実に再現しようと表現されたもの。
同じ事象を様々な切り口で魅せることにより、時間と空間の割れ目が、浮かび上がり
不思議な感覚にとらわれる。
こういう割れ目や、ちょっとした落とし穴にたまには落ちよう。
好きでないものや意外なものに足をすくわれよう。
そしてすっ転んで。
そんな夏を過ごしたい。