おはようございます!

昨日は数年ぶりに、というか下手したら10数年ぶりくらいに(最後に行った記憶さえないので、、、)イルミネーションで有名な”読売ランド”に行ってきたんですが、これが生憎の天気にやられてしまって途中で雹が降ってくるわ、強風で寒さ2倍になるわ、ゴンドラが運休になるわと悪条件に見舞われた一日を過ごしたwataruです。

 

それにしてもやっぱり夜になった時のイルミネーションは圧巻で、あんなにライトアップされる綺麗な場所は読売ランド以外で見ることができないなと、イルミネーションという観点に置いて圧倒的に抜きに出ている唯一無二の存在なんだなと、改めて読売ランドの凄さを肌で感じた夜でした。

 

ということで、ではないですが本日は「指摘をする基準」というテーマでお話をしていこうと思います。

 

というのもまあそもそも僕自身人に何かを言ったり、指摘をすること自体が多くないタイプの人間なのですが、ここ最近色々と考えてみた時にどうやら自分の中で人に指摘する時の基準というか、ざっくりとしたルール的なもの、法則的なものがあることに気づいて、それが「5秒で変えられることかそうじゃないか」というすごくシンプルな基準だったんですね。

 

まあ言ってしまえば僕が指摘した時にその人が物理的に指摘された行動をすぐに変えられるか変えられないかということなのですが、よくよく考えてみるとこの法則性が自分の中にあったので、今日はここについて少し深ぼっっていこうと思います。

 

というのもまあ言葉で説明をすると上記のような説明になりますが、実際にいくつか例を出してみるとわかりやすいなと思っていて、僕は基本的に人の外見的な要素を指摘することはないのですが(友達関係のイジリは置いといて、、、)、これってやっぱりすぐに変えられないことだし、例えば外見でいうオシャレかオシャレじゃないかというところにしても、オシャレじゃないと言われた時にその人は今すぐにその服を着替えることはできないので”オシャレじゃない”と言われた言葉だけが宙ぶらりんになって嫌な気持ちをずっと持っていないといけないと思うんですね。

 

こういうことになってしまうと思うので僕は外見的な要素を指摘することはないし、まあ今日でいうところのすぐに変えられないことを指摘するということはしないのですが、逆にポイ捨てやめなよとか、その言葉遣いあんまり良くないかもとかそういう類の今ここで意識すれば変わることを指摘することはそれなりにあって、こういう自分の意識だけですぐに変えられることは言われた側にも遺恨が残らないというか、その指摘が中に浮くことがなくしっかり自分の中で受け止めることができるので、僕もそういうものに関しては遠慮なく指摘している傾向があったんですね。

 

まあ長く付き合っている人に対しては伝え方を工夫うしながらすぐに変えられないことを指摘したり、そういうところに切り込んだりしていくことはもちろんありますが、基本的に人に何か指摘をするとか、何かをいう時にこの判断基準を持っておくことは個人的に大事だなと思いました。

 

ということで本日は「指摘をする基準」というテーマでお話をしてみました。

ではまた!