おはようございます!

昨日は夜中に友達と会う約束があって、まあ夜中の3時過ぎの仕事から帰ってきた後に会ってきたんですが、あの時間の人間というものは本当に欲に忠実というか、判断機能が大幅に低下しているので、友達と会った後の帰り道に一人で歩いていてコンビニを見かけた瞬間、咄嗟に”お腹が空いた!”という食欲100%の自分になってしまって、かなりの量の夜食を食べてしまったwataruです。

 

こういう爆食を防ぐ為にも、やっぱり過度な抑圧は解放に向かっていくだけなので普段から程よく気持ちいいくらいの節制に留めておいて自分を抑圧しすぎないとか、まあこういう日もあるというのを考慮に入れた上で普段から消費カロリーを高く設定するとかの対策は練っておくべきだなと思いました。

 

ということで本日は「誕生日を祝われるのが苦手なんです、、、」というテーマでお話をしていこうと思います。

 

というのも今日は土曜日ということで、お仕事がお休みの方も多くいると思うので、為になるような誰にでも転換できるようなお話しではなく、すごく個人的なエッセイ的な内容でお届けしようと思います。(普段から皆さんの為になるようなお話をできている人間ではありませんが、、、)

 

大人になってから、というのも正確にその年齢を覚えてはいませんが、大人になったいつからか僕は誕生日を祝われるのが苦手になったんです。

 

ということを昨日のジムからの帰り道にずっと考えていて、”というかそもそもなんで苦手になったんだろうか、、、”とか、”なんでそんな気持ちになるんだろう、、、”と歩きながら自分と会話をしていたのが昨日の僕の昼時なのですが、、、

 

昔は好きだったんです。それこそ子供の頃の誕生日というものは自分の好きなものを買ってもらえる唯一の日というか、食べ物からケーキからプレゼントまで自分の好きなもので埋め尽くされるような1日だったので、まさに多くの人が想像するクリスマスと似た感覚で、自分にとっては夢のような一日だったんですね。

 

なので”誕生日が毎日だったらいいのになあ〜”なんて淡い期待を抱いていた時もあったし、とにかく一年の中でも数えるくらい幸せな一日の一つとしての認識があったんですが、これがいつからか苦手になっていって、社会人になってからなのか、大学の途中ごろからなのかはわかりませんが、まあ20歳を過ぎた後くらいから誕生日を祝われることがすごく苦手になっていったんですね。

 

なんでこの辺でそういう心境の変化があったんだろうか、でもよくよく考えてみたら20歳の時に付き合っていた彼女の誕生日には共通の友人を呼んで渋谷でパーティー的なことをしたから20歳の段階ではまだ抵抗がなかったのか、いやでもそれは人の誕生日を祝う側だから出来ていたのか、でも盛大に祝ったら自分にもそれなりの誕生日が返ってくるという返報性の法則があるのにも関わらず、祝われるのが苦手な人がわざわざ盛大に祝うのかとかも思うけど、まあ基本的に僕はすごく記憶を無くしてしまうタイプの人間なのでその時の気持ちや感情なんて諸共覚えていないんだが、正直今だけの話をすると今は人の誕生日を祝うことも人の誕生日を覚えておくこともめんどくさいなと思っている。

 

それくらい僕は誕生日というものに嫌悪感がある、いや誕生日に嫌悪感があるというよりもむしろ誕生日という行事に付随した固定概念や価値観に嫌悪感を抱いているんだと思う。

 

というのも例えば、誕生日を覚えていてそこでしっかりと連絡をくれる人は律儀で優しいとするこの世の中の価値観とか(わざわざ誕生日を覚えている人なんて暇な人間でしかないと思うし、連絡をしたところで浅い”また飲みに行こう!”くらいの会話しかしないからそもそも意味がない会話だと思っている)、特に自分が他者に価値を提供したわけでもないのし、ただ自分が生まれてきたというなんの変哲もない普通の一日であるのにも関わらず人から祝われて、感謝されて、賞賛されるみたいなそんな意味のわからないノリに嫌悪感を抱いているんだなと思った。

 

と具体的に言語化をしてみたが、多分特に嫌っているのは後者のノリのような気がしていて、これは僕の価値観が資本主義に染まっているからこそ生まれている嫌悪感でもあるのかなと思った。

 

というのも、現代のこの資本主義社会では人に多くの価値を提供したものにお金が集まって、人より優れた功績を残したものに多くの恩恵を与えるような仕組みになっているので、僕らは仕事をして、働いて価値を生まないとお金はもらえないし(一部生活保護などはありますが、、、)、自分の欲しいものを買いたいと思うならその分の価値提供をしなければいけない構造になっていると思うんですね。

 

そう考えていくと、僕たちが今生きているこの資本主義社会において自分がただ存在しているだけで祝われるという誕生日のようなお花畑の価値観とは真逆の価値観の中で普段は暮らしていて、そんなものとは程遠い世界で生きているわけで、この通常の生きている世界とのギャップから誕生日を祝われることに疑問が生まれて、違和感を感じるようになってそれを突き詰めていって苦手になっていったんだろうなと思いました。

 

まあこんなことを思っている反面、多くの人が誕生日を祝ってもらえることが嬉しいということは知っているので、出会った人で誕生日を聞いたらメモを取るようにしているし、人の誕生日を祝うことはこれからも続けていこうとは思いますが、僕個人で考えるとやっぱりわざわざ僕のなんでもない日のために大事な時間やお金などを使わせてしまうのは勿体無いなと思ってしまうので、苦手だなと思いました。

 

ということで本日は「誕生日を祝われるのが苦手なんです、、、」というテーマでお話をしてみました。

ではまた!