自分は朝ごはんは食べない。昼ごはんは極たまに食べる。夕食は普通に食べる。日中は基本的に、水と塩のみ。固形物は摂取しません。

食事の回数は、約1年程前から1日1食~2食。夕食時に食べたいと思わなければ、食事はしない。身体が欲した時だけ食べます。身体の反応に逆らわず行動すると思いのほか身体は軽くなります。余計なエネルギーを使わなくて済むからです。


人が1日3食きっちり食べるようになったのは、人類の歴史上、農耕が始まってからも極々最近の事。

人の消化器官は驚くほど、エネルギーを消費します。浪費といってもいいかもしれません。沢山食べれば、沢山エネルギーを使います。

食事を終えて、消化・吸収・排泄の行程を全て終えるのに、大体18時間かかると言われています。その過程で大量の酵素や栄養素を消費します。

エネルギーを補給する為に、大量のエネルギーを消費する。これってものすごく非効率なシステムだと思います。

1日3食というのは人類の歴史から見て極めて浅い位置にあります。
これは、同時にヒトの身体は1日3食の食事に対応していないという事を示唆します。人の身体は長い年月をかけて、環境に対して最適な解を導き出します。現代の飽食にはまだ身体は最適な解を出せていません。最適解を出すには時間がまだまだ足りないのです。

1日3食に対応していない人類が、1日3食も食べるのは、人体にとって大きな大きなダメージになります。食事を終えて表向きはのんびりしていても、体内では消化器官が猛烈に稼働し、入ってきた「異物」を懸命に処理します。食事の時間間隔を1日から2日の間に最低18時間開けなければ、消化器官はその間、フル稼働しっ放しという事です。ブラック企業どころじゃないですw(それを言うと心臓も肺も死ぬまで働きますがそこはスルーで笑)

文字通り、神経をすり減らします。アポトーシスを加速させます。命を得る為に、自らの命を削るのです。

7時頃に朝食を食べて、約5時間程で昼食、そしてまた5時間後の午後7時に夕食、そして12時間後にまた翌日の朝食。(このサイクルを本当の意味で規則正しいというかは別です。毎日決まった時間に食べる人はもししたら意外と少ないかもしれませんし、そもそも規則正しく行動する事は必ずしも、良い結果を産むとは限らないと思います)

異物の処理の真っ只中に、さらなる異物が入ってくると人の消化器官の処理能力では到底追いつきません。
寝てる間は休んでる気がするかもしれませんが、実際は殆ど休んでません。フル稼働しています。

日々の疲労の原因は栄養不足だ!
これは間違いではないと思います。疲労の原因の一つだと思います。しかし、栄養不足を解消する為に食べても栄養不足は必ずしも解消するとは限りません。それは人の消化器官の処理能力を考慮すれば明らかな事です。疲労の原因が何か?という事を自身の身体と向き合い、見極めていかなければ、食べる事によって栄養不足に拍車をかけるというジレンマに陥ります。問題点を明らかにしないまま突き進むのは自らを地獄へ向けてアクセルを全開で踏み込むという事です。

疲労が一向に良化しないのであれば、アプローチの仕方を変えるべきです。

食べる事によって疲労が加速するならば、食べる事を辞めればいいだけです。(何も食べるなと言ってるわけではありません。タイミングを見極めるという事です。)

しかし、多くの人は「食べない」という事に対し、並々ならぬ嫌悪感と恐怖を感じます。一つは、それは長い年月をかけて飢餓にさらされてきた人類の歴史の記憶がDNAに書き込まれているからです。もし人体が飢餓に対し、快感を覚えるよう設計されていれば、人は喜んで飢餓を受け入れ絶滅しているでしょう。ですから、「食べない」という行為に対し嫌悪感や恐怖を抱くのは、人類が飢餓という環境に対して出した最適解であると言えます。

けれども、その最適解は飽食を突き進む現代(先進国や裕福な国に限って)においては最適解ではありません。テレビをつければ、ほぼ必ず食品に関する映像が流れますし、街中を歩けば辺りから食べ物の香りが鼻腔をくすぐります。

身の回りに食品が溢れる現代において、「食べられない」という事に対しての嫌悪感はまだしも、恐怖を覚える必要は全くないと言うことです。

仮に「食べる必要がない」と分かったとしても、周囲との行動に合わさなければいけないという暗黙のルール(大半は必要ありませんが)により、根本原因を解決する為の行動の多くが、それらの社会性により封殺されます。

それでも行動に移すには、問題を解決した後に広がる未知の世界に飛び出したい!という意思と切実な欲求が実行の有無を左右します。

1歩引いて世の中を見ると、常識というシステムを盲信する人があまりにも多い事に気づきます。


その常識から外れて動くには断固たる意思が必要です。出る杭は必ず打たれます。魔女狩りに合います。マイノリティはマジョリティ
により抹殺されます。


自分がそれでも常識の枠組みから出ていくのは、アウトローの行先に花束があると確信しているからです。ゴールが無ければ人は動けません。

1日3食の歴史は極めて浅いです。1日3食、好きなモノを好きなだけ食べられる現代はまさに、人類総グルメです(といっている間にも飢餓で苦しむ国は多々ありますが)。この時代に生まれたからには、好きな物を好きなだけ食べて快感を得るのは、この飽食の時代に生きる人の特権かもしれません。その権利を行使するのは、その人の自由です。しかし、自由には自己責任が伴います。好きな物を好きなだけ食べて、身体に変調をきたしたとしても、それは自己責任です。そこで自身の行動を改められるのであれば、何の問題もありません。一度きりの人生、やりたいようにやればいいのです。

ただ、日常生活の行動に対し何の疑問も持たないのは、非常に危険です。

なぜなら、この世界は少なくとも平和を求めていない者によって牛耳られているからです。

息を呑むほど美しく洗練された搾取のシステム。1日3食というのも、もしかしたらそのシステムの一部かもしれません。

たかが食事です。しかし、されど食事です。

24時間、自身を観察しそれぞれの選択が果たして本当に必要なモノかどうか疑いましょう。

そして、食事に限らず、自分が真に求めているモノは何か?と、問いましょう(^^)

現状に満足していないのであれば、それは自分が真に求めていたモノはその世界にはないのかもしれませんね。

食べても食べても満足出来ないのであれば、それは恐らく、身体が求めていないからでしょう。

自分が真に求めているモノを知れば、世界は変わります。たかが食事ですが、されど食事です。社会に求められたモノではなく、自身が心から望むモノ、そしてタイミングを知りましょう☆

自分を見つめ直す事は、世界を見つめ直す事と同じです。

見つめ直して、自分好みの世界に書き換えましょう。人生の物語はいつでもどこでも書き換えられます。1人1人が物語の作家であり、物語の主人公です。主人公が〜しなければいけないという決まりは何一つありません。そんな決まりは作家が決めればいいのです。主人公は主人公らしく堂々とやりたいようにやればいいのです。ただし自己責任でね☆